今月、私は「大衆の反逆」にチャレンジ中。今回は、第一部:大衆の反逆 「第8章:大衆はなぜあらゆることに介入するのか?しかも暴力的にのみ介入するのか?」 から、気になったところについてメモしておきます。
前もって意見を作りあげる努力をしないで、その問題について意見を持つ権利があると信じていることからして、私が「反逆的大衆」と呼んだところの、人間としてのばかげたあり方に属していることを典型的に表明しているのだ。それこそまさしく、閉鎖的、密室的な魂を持つということである。この場合は、知的閉鎖性といえるだろう。
(第一部:大衆の反逆 第8章:大衆はなぜあらゆることに介入するのか?しかも暴力的にのみ介入するのか?「大衆の反逆」オルテガ著 )
敵と共存する!反対者と共に政治を行なう!このような愛は、もはや理解しがたいものになり始めているのではなかろうか?反対派の存在する国がかくも少なくなりつつあるという事実ほど、現代の様相を明白に示しているものはない。ほとんどすべての国において、均質的な大衆が社会的権力の上にのしかかり、あらゆる反対派の集団を圧迫し絶滅している
(第一部:大衆の反逆 第8章:大衆はなぜあらゆることに介入するのか?しかも暴力的にのみ介入するのか?「大衆の反逆」オルテガ著 )
「大衆の反逆」ホセ・オルテガ・イ・ガセット (著), 桑名一博 (翻訳)
真理を追究する意思に欠ける
オルテガの主張は一貫しています。大衆は利口だし、多くの知的能力をそなえているけれど、真理を追求する意思に欠けていることが問題なのだとか。大衆が「思想」だというものは、「欲望」に過ぎないし、自分と異なる意見を持つ他者との対話を好まず、暴力的な直接行動に訴えようとする。
耳が痛い。。。あふれるばかりの科学の恩典を受けながら、実際のところ、その複雑な進歩には全く理解が及びません。そして、それに関して、これまで全く疑問を持ったことがありませんでした。だって、そういうものだし、それのどこがいけないのか、この本を読むまでは、自覚がありませんでした。
メリットがあれば、デメリットの可能性も考えなければなりません。そして、恩典をなぜ自分が享受できるのか、その背後には何があるのか、など考えるべきことは色々あるようです。でも、私も含めて多くの凡人にとっては、そこまで思考を日常的に深めていくのは荷が重すぎる気がします。。。
参加者(6名)
- もんざ (主催者)「大衆の反逆」オルテガ (著)
- たろうさん 「アフターデジタル2 UXと自由」藤井 保文 (著)
- あさはらさん「こころ」夏目漱石 (著)
- にしやまさん「グイン・サーガ」五代ゆう(著)
- maru(まる)さん「世界はシステムで動く」ドネラ・H・メドウズ(著)
- Treeさん「FIRE 最速で経済的自立を実現する方法」グラント・サバティエ(著)