今月、私は「大衆の反逆」にチャレンジ中。今回は、第一部:大衆の反逆 「第7章:高貴な生と凡俗な生、あるいは、努力と無気力」 から、気になったところについてメモしておきます。
過去の平均人にとって、生きるということが、自分の周囲にさまざまな困難、危険、欠乏、運命の制約、隷属を見いだすことを意味していたのに対し、新しい世界は、事実上無限の可能性を持ち、安全で、そこでは人は誰にも依存しなくてよい領域のように見える。
(第一部:大衆の反逆 第7章:高貴な生と凡俗な生、あるいは、努力と無気力「大衆の反逆」オルテガ著 )
(中略)そして今日では、環境が彼に強いることがないので、大衆人はその本性に従って他に頼ることをやめ、自分が己れの生の主人であると考えている。
(中略)つまりすぐれた人間とは、自分自身に多くを課す者のことであり、凡俗な人間とは、自分自身に何も課さず、現在あるがままのもので満足し、自分自身に陶酔している者であると
「大衆の反逆」ホセ・オルテガ・イ・ガセット (著), 桑名一博 (翻訳)
生まれながらに与えられる特権
オルテガは生まれつき特権が与えられているために、それを特権だと考えなくなってしまったのが大衆の悲劇だと述べます。環境が大衆を甘やかすことが、問題の原因だと考えているようです。
19世紀までは、生きのびるために、家族や、地域の共同体と密接な関わりを保つことで、自分の生命を脅かすようなリスクを下げてきました。個人は、多くの制約のもとで、何ものにも縛られず自由に考え、行動する権利を手に入れたいと願っても叶えられることはまれでした。
しかし、20世紀になり、人類はついに、念願の自由を手に入れます。過去の人類は願っても手に入れることができなかった、さまざまな自由が生まれながらにして与えられた個の時代の到来です。ところが、そうなってみると、想像もできなかった問題が発生することになりました。つまり、それが大衆の反逆なのです。
謙虚さに欠ける大衆をオルテガは非難しまくっていた時代から100年近く経った現在、状況は当時よりも良くなっているのでしょうか。もし良くなっていないとしたら、私たちは何をすべきなのでしょうか。
参加者(6名)
- もんざ (主催者)「大衆の反逆」オルテガ (著)
- たろうさん 「アフターデジタル2 UXと自由」藤井 保文 (著)
- あさはらさん「こころ」夏目漱石 (著)
- にしやまさん「グイン・サーガ」五代ゆう(著)
- maru(まる)さん「世界はシステムで動く」ドネラ・H・メドウズ(著)
- Treeさん「FIRE 最速で経済的自立を実現する方法」グラント・サバティエ(著)