kindle本があったら、すぐに買っちゃってたかもなぁ、と思うもんざです。
ネットで調べものをしていたとき、 「 ありのままの世界は見えない」(「 美しいをさがす旅にでよう 」田中真知著からの抜粋)という文章を読みました。高校一年現代文の教科書(三省堂出版)に随想・評論を学ぶ教材として取り上げられており、中学の入試問題にも使われているようです。
しかしkindle本はなく、紙の本もAmazonで倍近い値段の中古本しか買えない状態です。
たぶん図書館にはありそうなので、帰国したときに読めるといいなと思っています。ものすごく共感したことばがあったので、そのまま引用します。
人は自分たちの文化的な文脈の中にあるものしか見えないのである
「 美しいをさがす旅にでよう 」田中真知著
分かってくれている、と思っていたのに、実は全く違っていたとか、同じものを同時に見ていても、実際に見えているものは、一人一人異なっているとか、「異なっていること、ありのままに見えないことが当たり前なんだ」という感覚が、まだまだ自分には不足している気がするんで、この本をすごく読みたいんですよね。
さて、課題です。わたしは、こちらを読んでいます。
「全3巻 罪と罰 (光文社古典新訳文庫) Kindle版」ドストエフスキー (著), 亀山 郁夫 (翻訳)
(第1巻はkindleアンリミテッドの対象ですよ)
第2巻の40%まで読みました。ネットで見つけた登場人物の相関関係図も、なかなか便利で読書の役に立っています。
ポルフィーリー:予審判事
ザメートフ:警察署の事務官(ラズミーヒンの友人)
ラズミーヒン:主人公ラスコーリニコフ(ロージャ)の友人
この3人と主人公ラスコーリニコフが、犯罪者の心理について議論する場面を読みましたが、どうして主人公がそのような思想を持つに至ったのか、非常に気になります。
登場人物たちは同時代に生きて、同じものを見ているはずなのに、なぜ主人公だけが選民思想に取りつかれて殺人を犯すのか?国や時代が同じなら、文化的な文脈は、それなりに共有できるはずなのでは?などの疑問が湧いてきます。
ドストエフスキーは、実際の事件にインスピレーションを受けて、この作品を書き上げたのですが、なぜドストエフスキーがこのようなキャラクターを創造したのかを知るためには、当時の時代背景をもう少し学ぶ必要がありそうです。
今日も読んでくださってありがとうございます。
また明日もよろしくお願いします。