ひさしぶりに両親にLINEで電話をかけてみたもんざです。あさ、5時半からのオンライン英会話レッスンを予約していたので5時起きしたのですが、先生から具合が悪いので休む、というメッセージが届いていました。前回はじめて予約し、非常に教え方の上手だったので再予約した先生なので、楽しみにしていただけに残念でした。
仕方がないので、レッスンは夜間のスケジュールで別の先生の受講に振り替えて、ぽっかりと空いた時間で、両親にLINEで電話してみました。
家族用のLINEグループがあるので、ときどき文字でのやり取りはしていますが、そういえば、1月から顔を見て話していなかったなぁ、と気づきました。
やはり顔を見て話すと安心感がありますね。
日本にいる時も、定期的に連絡しようと思いつつ、つい忘れちゃってたのですが、これもスケジュールに組み込むべきかもしれません。
ありがたいことに父母ともに元気ですし、両親の近くに弟や妹の一家もいるので、まぁ、私がいなくてもいいでしょ、と言い訳しています。
私の長所でもあり、短所でもあるのは、孤独への耐性がとてもに強いことです。
長時間ひとりで読書をしていたり、調べものをしたり、何にも考えずにひとりでぼおっとするのが大好きです。
自分が寂しい、と感じることが稀なので、他人のそういう感情にも鈍感で、無意識に親しい周囲の人を傷つけてきました。
でも家族だから分かるでしょ、みたいなのは良くないと学習して気にはしてるつもりですが、基本的な性格は直りません。
さて。課題です。
私は「獄中記」(佐藤優)という本を読んでいます。獄中記のなかで、佐藤さんがご自身のお母さんについて記述されているところがありました。
「五月二三日 三七五日目 母親に、自分の息子がやっていたことは、何も間違っておらず、国のために正しいことを命令に基づいてやっていたのに、政治の流れが変わった関係で事件に巻き込まれたということを理解してもらわなくてはなりません」(P291)
「九月一五日 四九〇日目(残二四日) 今日は敬老の日だ。母は元気にしているのだろうか?」(P408)
「獄中記」(佐藤優)
弁護士や外務省の後輩、大学時代の友人への手紙と、夢日記、覚書など、いろいろな記録が時系列で綴られているのですが、ご家族に対しての記述は、とても少ないです。
でも、これだけで十分にお母さんへの愛情が伝わってきました。
正直にいうと、私自身は、大学に入学して実家を出て以降、あまり両親に会いたいなぁと感じたことがありません。
冷たいようですが、幼少時に田舎の大家族のしがらみや相続争いを目の当たりにしたせいかもしれません。家族という繋がりに対して郷愁や愛着を感じられるのが、通常の反応だと分かっているので、なかなか正直に自分の気持ちを話せる場所はなく、いつも自分を偽っているような気がします。
ポジティブで共感できる情報は、共有してもよいけど、ネガティブで否定的な感情は自分の中に閉じ込めておくべきだ、という強固な信念が自分の中にあることに気づきました。でも文章を書くことで、どうにか負の感情も消化できているようです。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
明日もよろしくお願いします。