すべてを疑え!って、コピー機でのスキャニングもですか?と思ったもんざです。
会社のコピー機で書類をスキャンして自分のメールアドレスにデータを送っています。
最初のころは、何にも考えずに、スキャントレイに30枚くらい、ガサッと突っ込んで、ポチっとスタートボタンを押していました。
しかし、受信したメールのデータを見ると、ページ数が足りないのですよ。
うむむ。どういうことだ?
何度か試行錯誤したあと、彼(複合機)を全面的に信頼することを止め、彼の処理能力に収まる範囲のお仕事を与えることに決めました。「こんなにいっぱい無理です」って正直に言ってくれたらいいんだけど、黙ってサボタージュされたりすると、こちらが面倒なのですよね。。。
ページを数えて、10枚ずつスキャンして、受信したデータに抜け漏れがないかチェックし、スキャニングした複数のPDFデータを別途結合して、ひとつのファイルを作る作業って、ムダといえば、ムダな作業です。
日本だったら、すぐにサポートの人を呼んで不具合の調整をしてもらうところですが、まだ勝手が分からないし、おそらくは、これがノーマルな状態な気がするんです。
とりあえず、自分のできる範囲で問題解決しております。
まぁ、でも、今読んでいる「世界十五大哲学」で「すべてを疑うことが哲学だ」と学びましたからね。
この作業も、哲学する修業の一環として、考えることにします。
さて、課題です。わたしは「世界十五大哲学」を読んでいます。
ようやく最後まできましたよ。
最後に紹介される二人の哲学者は、現代の哲学を代表するふたりとして取り上げられています。
現代哲学は、より簡単で分かりやすい表現を用いて、私たち人間の日常生活に哲学の機能を取り込むことが重要であると考えており、思想や知識は、生活や実践と切り離しては意味がない、という立場です。
第14章は「デューイ」(1859-1952)というアメリカを代表する現代哲学者です。
デューイの哲学思想は、イギリス経験論の始祖ベーコンを基礎としています。
ヘーゲルや社会学者として有名なオーギュスト・コント、直接の先輩にあたるジェームズから影響を受け、自分独自の哲学的立場を確立しようとしていました。彼の唱えた「道具主義」とは、知性や思想は、環境を支配する「道具」であるというものでした。
彼の思想は戦前の日本の思想界に大きな影響をあたえ、また戦後はアメリカ式の教育制度が日本国内で勧められたことから、彼らの流派「プラグマティズム」(実用主義)は、さらに広がりました。
第15章は「サルトル」(1905-1980)というフランスの哲学者です。
作家としても有名ですよね。
著者はサルトルの哲学論理は、破たんしていると解説していますが、哲学思想を一般に理解しやすい小説という形式で数多く表現した作家としてのサルトルの力量を高く評価しています。
(サルトルは、1938年に出版した「嘔吐」が1964年にノーベル文学賞の候補になりましたが、それを辞退しています)
もんざは、2017年に中島義道さんの哲学塾で「存在と無」を少しだけ学んだのです。
(中島さんの著作を愛読していた時期があり、講義がうけられないかな、とネットで調べたら「哲学塾」を見つけることができました)
初学者むけ、という話で受講を決めたのですが、あまりにも自分の知識がなかったこと、授業時間と会場が私には合わなくて、残念ながら挫折しました。
■中島義道 bot(Twitter)
それでも「存在と無」をテキストにして、中島先生の解説を聞けたのは非常に貴重な経験だったと思います。笹塚のマンションのさほど広くない一室に30人くらいの老若男女が集まって、現代哲学を学ぶ状況は、当時の私の日常から考えると、かなりの異空間で、緊張しましたが、大学生に戻ったような気分も味わうことができました。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。