あれ?ちがうのか?と思ったもんざです。
ABD読書会で差別と区別の話になりました。
私はいつも周囲のひとの危険度を計っているのですが、他の人はしないとのこと。
例えばエレベーターで一緒になった人や道ですれ違った人。
自分のレベルをゼロとして、それより上か下かで警戒度が変わります。
赤ちゃんとお母さんは、危険度ゼロ。
体格の良い男性、不機嫌そうな人は、少し注意。
身なりや行動が怪しい人は、要注意。
程度は違っても、みんな少なからず、無意識に考えていると思ったんだけどなぁ。
これは差別ではなくて、最低限、自分の身を守るために必要なリスク管理だと私は考えています。
進捗報告
さて、今月みなさんと共有したいのは、こちらです。
「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)
今回は、第5章「アメリカ初のオピオイド・エピデミック」から興味深いと感じた部分を共有します。
この章では、19世紀初めにまだアヘンが薬局で誰でも簡単に入手できる時代にはじまり、知識人のあいだで薬物依存がどのように蔓延したのか、などが描かれています。
この過程で、薬物のロマン主義的な使用は、洞察を得る道具というだけでなく、カウンターカルチャーの象徴になった。(中略)薬物使用は、勇ましい、あるいは洗練された行為の象徴となった。
(第5章 アメリカ初のオピオイド・エピデミック、第II部 不節制の時代)「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)
十九世紀後半、ボードレールを筆頭に「デカダンス」と呼ばれるパンクの原型となる作家の一派が、モルヒネの使用を公然と美化した
(第5章 アメリカ初のオピオイド・エピデミック、第II部 不節制の時代)「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)
ウィリアム・バロウズでさえ、依存症が創造性やインスピレーションを高めるという考えを鵜呑みにするなと警告し、誤解を生んだことに関してはとくにド・クインシーに咎があるとして非難した。この警告の正しさは、バロウズ自身の人生だけでなく、ド・クインシーの人生が証明している
(第5章 アメリカ初のオピオイド・エピデミック、第II部 不節制の時代)「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)
ヨーロッパとアメリカの状況を対比しつつ、複合的な要因により、事態が悪化していく歴史が語られ、しかもそれは現在進行形であることに慄然としつつ、私たちはこの歴史から何を学ぶべきなのかを考えされられます。
日本では、2018年7月に健康増進法の一部を改正する法律が成立し、強化された喫煙ルールが2020年4月1日より全面施行されました。[1]
タバコを専売している「日本たばこ産業」では、1998年から、テレビやラジオ、インターネットでのタバコの銘柄のCMを自粛しています。
飲酒に関しても、広告規制が進んでいるようです。[2]
法的な規制強化が必要な部分もあるでしょう。
しかし最も重要なことは、依存症の歴史で人類がどのような失敗をしたのかを学ぶことだと思います。
特に次世代の若者に伝え、彼らが自ら考え行動できる教育体制を構築することではないでしょうか。
ただ、難しいのは、権威から押し付けられるものに若者は反発しがちであるということなんですよね。。。
ダメと言われるものに惹かれてしまう、という性質も考慮する必要がある。。。
今日も読んでくださってありがとうございます。また明日もよろしくお願いします。
参考[1] [なくそう!望まない受動喫煙。](https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/)
参考[2] [厚労省「飲酒ガイドライン」発表でお酒の広告どうなる? 「JTのようにマナー啓発CMばかりになる」流れも | マネーポストWEB](https://www.moneypost.jp/1119819)
参加者(2名)
- もんざ「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)
- にしやまさん「無(最高の状態) 」鈴木祐 (著) クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
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共有予定の本
ある時代には酒や薬物に耽溺することは「堕落」と見なされ、ある時代には「下級階層の流行病」と見なされた。またある時代には、たとえ同じ薬物でも、特定のコミュニティで使用すれば「医療」だが、別のコミュニティに属する者が使用すれば「犯罪」と見なされた。
アルコール依存症から回復した精神科医が本書に描くのは、依存症の歴史であり、その概念の歴史である。自身や患者の体験、過去の有名無名の人々のエピソードに加え、医学や科学のみならず、文学、宗教、哲学にまで踏み込んだ豊饒な歴史叙述によって、依存性薬物と人類の宿命的な繋がりが浮かび上がってくる。
依存症は「病気」なのか? それとも、差別や疎外に苦しむ者に刻印されたスティグマなのか――? 圧倒的な筆力で依存症をめぐるさまざまな神話を解体し、挫折と失敗に彩られた人類の依存症対策史をも詳らかにする。「本書は、米国のみならず、国際的な薬物政策に大きな影響を及ぼす一冊となりうる力を備えている。その意味で、依存症の治療・支援はもとより、政策の企画・立案、さらには啓発や報道にかかわる者すべてにとっての必読書であると断言したい」(松本俊彦「解題」より)
<内容:みすず書房 書誌情報より> 依存症と人類 | われわれはアルコール・薬物と共存できるのか | みすず書房
幸福度、意思決定力、創造性、ヒューマニズム―無我によって私たちはどのようになるのか?不安、怒り、孤独、虚無、自責から自らを開放する科学的メソッド。
<内容:紀伊国屋書店 内容説明より> 「無(最高の状態) 」鈴木祐 (著) クロスメディア・パブリッシング(インプレス)