52歳になったもんざです。フィリピンではお誕生日の人が周囲の人に感謝してご馳走する習わしです。そんなわけで、誕生日を隠してました。(けちくさいな、自分。。。)
しかーーーし!ついにバレました!!
前日から「お誕生日なんだよね?おめでとう」と会う人に言われ、誕生日を隠しているのにFBでメッセージが届き。。。何でアンタまで知ってるのよ!と最初はギョッとしてましたが、腹をくくって「ありがと!ありがと!」と笑顔で対応。
同僚にレストランでランチをごちそうし、メリエンダ(15時のおやつ)にはドーナツをふるまってみました。結果、気づいたのは、やはりこれは一種の儀式だということ。
周囲に感謝を伝え、雑談でコミュニケーションすることの大切さ。同じコミュニティに所属している人と連帯感を育てる。ドライな人間関係ってラクですが、それで失うものもあるよなぁ、とか。
そんなかんじで良い気づきを得ました。
進捗報告
さて、私が今月みなさんと共有したいのは、こちらです。「生物と無生物のあいだ」 (講談社現代新書) 福岡 伸一 (著) 今回は第2章「アンサング・ヒーロー」から。
遺伝子の本体がDNAであることを突き止めたのはオズワルド・エイブリー(1877-1955)。彼にはノーベル賞が与えられなかったけれど、ロックフェラー大学内では受賞に値すると称えられています。
「unsung hero(縁の下の力持ち、あるいは偉業を認められない英雄)」
エイブリーは生涯独身で研究一筋。慎重に控え目に研究を積み重ねました。エイブリーの生き方は、ほぼ同時期にロックフェラーで研究していた野口英世とは真逆ですね。信念を持って誠実に研究しているのか、一瞬の名誉や栄光だけを求めて研究しているのか。考えさせられました。
エイブリーについて調べていたら福岡さんの講演動画も発見!福岡さんは声も良いし、講演も分かりやすくて面白いんですよね。
第5回 京都大学 − 稲盛財団合同京都賞シンポジウム「生命とは何か?それは動的平衡」福岡 伸一 2018年7月22日
二つの事象、つまり微生物の存在と病気の発症とはあくまで相関関係にあるにすぎない。相関関係が原因と結果の関係、すなわち因果関係に転じるためには、もうひとつ次へのステップフォーワードが必要なのである。野口英世がはまり込んだ陥穽も実はここにあったのだ。(中略)観察によって相関関係を見つけることはできても、そこに因果関係を立証することはできない。因果関係は、「介入」実験を行ったとき初めて立ち現れる。
(第2章「アンサング・ヒーロー」)「生物と無生物のあいだ」 (講談社現代新書) 福岡 伸一 (著)
結論を端的にいえば、私は、ウイルスを生物であるとは定義しない。つまり、生命とは自己複製するシステムである、との定義は不十分だと考えるのである。では生命の特徴を捉えるには他にいかなる条件設定がありえるのか。
(第2章「アンサング・ヒーロー」)「生物と無生物のあいだ」 (講談社現代新書) 福岡 伸一 (著)
今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。
参加者(5名)
- もんざ「生物と無生物のあいだ」 (講談社現代新書) 福岡 伸一 (著)
- さんぽ屋さん「限りある時間の使い方」オリバー・バークマン (著), 高橋璃子 (翻訳)かんき出版
- にしやまさん(選書中)
- maru(まる)さん「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」山本文緒 (著)新潮社
- りんさん(選書中)
共有予定の本
生命とは、実は流れゆく分子の淀みにすぎない!?「生命とは何か」という生命科学最大の問いに、いま分子生物学はどう答えるのか。歴史の闇に沈んだ天才科学者たちの思考を紹介しながら、現在形の生命観を探る。ページをめくる手が止まらない極上の科学ミステリー。分子生物学がたどりついた地平を平易に明かし、目に映る景色がガラリと変える!
<内容:アマゾン商品説明より> 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書) 福岡 伸一 (著)
本書は古今の哲学、心理学、スピリチュアル思想を駆使し、ウィットに富んだ語り口で、時間と時間管理を実践的に、そして深く問い直す。
「すべてのことを終わらせる」という強迫観念を捨て、自分の有限性を受け入れたうえで、そこから有意義な人生を築く方法を紹介する。
本書を読めば時間に対する見方が変わり、さらには生き方が変わるだろう。
<内容:アマゾン商品説明より>「限りある時間の使い方」オリバー・バークマン (著), 高橋璃子 (翻訳)かんき出版
お別れの言葉は、言っても言っても言い足りない――。急逝した作家の闘病記。
<内容:アマゾン商品説明より>「無人島のふたり 120日以上生きなくちゃ日記」山本文緒 (著)新潮社
これを書くことをお別れの挨拶とさせて下さい――。思いがけない大波にさらわれ、夫とふたりだけで無人島に流されてしまったかのように、ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった。58歳で余命宣告を受け、それでも書くことを手放さなかった作家が、最期まで綴っていた日記。