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「親友交歓」太宰治(1946)親友のふりをする見知らぬ男との会話を描いた短編

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読書感想
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1946年(昭和21年)太宰治が37歳の時に発表された短編小説「親友交歓」(しんゆうこうかん)を読みました。親友のふりをする見知らぬ男に翻弄される主人公を描いた物語。この主人公は太宰自身を投影しているようです。(青空文庫のこちらで読めます)

原作と翻訳の読み比べ

物語は、昭和21年(1946年)9月にある男の訪問を受けた、という書き出しで始まります。(太宰は1948年に自殺するのでその2年前ですね)題名と、死ぬまで忘れられない思い出になるだろう、という語りで、読者は心温まる友情の話が聴けるものだと想像するでしょう。でも違うんです。

しかし、やっぱり、事件といっては大袈裟(おおげさ)かも知れない。私は或る男と二人で酒を飲み、別段、喧嘩(けんか)も何も無く、そうして少くとも外見に於いては和気藹々裡(わきあいあいり)に別れたというだけの出来事なのである。それでも、私にはどうしても、ゆるがせに出来ぬ重大事のような気がしてならぬのである。
 とにかくそれは、見事な男であった。あっぱれな奴であった。好いところが一つもみじんも無かった。

「親友交歓」太宰治

But still, to call it an incident would be an exaggeration. I had a drink with a man, and we parted without any quarrel, and, at least outwardly, in a friendly manner. Nevertheless, I can’t help feeling that it was something serious.
 Anyway, he was a brilliant man. He was an admirable man. There was not a single good point about him. (Google翻訳+DeepL翻訳を使用)

日本語を機械翻訳したものと、Morrisさんの英訳は少しニュアンスが変っているようです。いい話をするよ、と見せかけて、実は違うのよ、みたいなユーモアって、この英文で醸されてるのかなぁ。

Although on the surface there may have been nothing very spectacular about his visit, I am convinced that it was a momentous event in my life. For to me this man foretold a new species of humanity. During my years in Tokyo, I had frequented the lowest class of drinking house and mixed with some quite appalling rogues. But this man was in a category all his own: he was far and away the most disagreeable, the most loathsome, person I had ever met; there was not a jot of goodness in him.

The Courtesy Call By Osamu Dazai TRANSLATED BY Ivan Morris (Modern Japanese Short Stories: An Anthology of 25 Short Stories by Japan’s Leading Writers)

彼の訪問は、表面的には大したことはなかったかもしれませんが、私の人生にとって重要な出来事であったと確信しています。私にとって、この男は新しい人類の種を予言していたのです。東京にいた頃、私は最下層の酒場に足繁く通い、ひどい悪党たちと交わっていた。しかし、この男は独自のカテゴリーに属していました。彼は、私がこれまでに会った中で最も不快で、最も嫌な人間であり、善意のかけらもありませんでした。(DeepL翻訳を使用)

小学校時代の親友を装う平田は、同窓会をやりたいと太宰に持ちかけてくるのですが、それは単なる口実らしいのです。やがて、こいつは変だと気づいて不快になる太宰ですが、小心で八方美人な態度を崩せず自己嫌悪に陥りつつ、自分の内面を客観視しているのも面白い点です。

物語の終わり、平田が太宰の耳元で告げたひとことには、誰もが驚き、太宰に共感するのではないでしょうか。

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参考

太宰治(だざいおさむ)1909-48(明治42-昭和23)

小説家。本名津島修治。青森県生れ。東京帝大仏文科中退。津軽屈指の大地主の六男として生まれたことが,この作家の生涯と芸術に決定的な影響を与えた。中学時代から文学に親しみ,旧制弘前高校に入って左翼思想に接し,大地主の子であることに屈折した罪意識を抱くようになった。1930年に東京帝大仏文科に進み,井伏鱒二に師事する。この年から非合法運動に関係するようになった。同年,青森の芸妓小山初代と結婚するが,その直前にバーの女給と心中をはかり女だけが死んだ。この事件は,非合法運動からの離脱とともに彼の心に終生消えぬ〈黒点〉を残した。35年,《逆行》によって第1回芥川賞候補となり,36年第1創作集《晩年》を刊行。その後,麻薬中毒になり,錯乱した内面を《HUMAN LOST》(1937)などの前衛的な方法で表現したが,初代と離別し石原美知子と再婚するころから,《富嶽百景》《女生徒》(ともに1939)など平明な作風に移り,《走れメロス》(1940)などの好短編も生まれた。第2次大戦中は《右大臣実朝》(1943),《お伽草紙》(1945)などの翻案的佳作を書くとともに,《津軽》(1944)のような名作を残した。戦後は戯曲《冬の花火》(1946)などで便乗思想を批判する一方,《ヴィヨンの妻》(1947)など既成倫理に反逆するような短編を発表。滅びゆく高貴なものへの挽歌《斜陽》(1947)で流行作家になったが,人間恐怖の自画像《人間失格》(1948)を残して山崎富栄とともに入水して果てた。

“太宰治”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-09-03)
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