今月、私は「大衆の反逆」にチャレンジ中。今回は、第一部:大衆の反逆 第4章 生の増大 から、気になったところについてメモしておきます。
現代人の特徴は、かつてないほど大きな潜在能力を自分に感じるとともに、あらゆる過去を矮小で奇形なものと思っている点にある。(中略)つまりわれわれの時代は、信じがたいほどの実現能力があるのを自分に感じながら、何を実現すべきかが分からないのである。(中略)ルイ十五世の幼年時代に摂政をつとめたオルレアン侯爵は、あらゆる才能を持ちながら、それを使いこなす才能だけはないと言われていたが、それと同じことが起きているのだ
(第一部:大衆の反逆 4:生の増大「大衆の反逆」オルテガ著 )
「大衆の反逆」ホセ・オルテガ・イ・ガセット (著), 桑名一博 (翻訳)
豊かさで自己を見失う
ドキッとさせられますね。4章では、現代において、人間の「生」の地平線が空間的・時間的に拡大していること、また人間の生が潜在能力の次元で増大したことを説明しています。しかし、だからといって、現代の「生」が他の時代よりも優れているわけではない、とオルテガは言います。
むしろ豊かさの中で自己を見失い、結果的には歴史上でもっとも不幸な時代なのかもしれない、とまで書いています。
たしかにそうかもなぁ、と思う反面、じゃあ、どうしたらいいんだろうな、というところで思考がストップしています。
大衆の定義
大衆の概念は,群集から公衆へ,さらに大衆へ,という連関でも考えられる。コミュニケーションの発展形態で分けると,会話や演説などのパーソナル・コミュニケーションで結ばれている集団が〈群集〉で,手動印刷機で印刷されたせいぜい数万部程度の新聞やパンフレット類の読者が〈公衆〉,そして現代のマスコミの受け手が〈大衆〉である。群集についての理論家としてル・ボンを,公衆についてはJ.G.タルドの名を挙げるとするなら,大衆のそれはオルテガ・イ・ガセットであろう。オルテガは,その代表作《大衆の反逆》(1930)で,共産主義とファシズムの政権奪取を眼前にしながら,大衆支配の時代の到来を説き,その危険性と可能性を鋭く指摘した。彼の思想の根底には,貴族主義,大衆蔑視の傾向があるが,19世紀に発展した資本主義経済と共和政治によって大衆の水準が飛躍的に向上し,その結果,過去数千年間支配されつづけてきた大衆が,エリート層に反逆し,時代の主役に躍り出ることを見抜いていた。社会学者マンハイムの《変革期における人間と社会》(1935)も,《大衆の反逆》とほぼ同時期に刊行された大衆論の古典である。なお大衆の特性は,エリートとの対比で決まる。エリートが洗練,高級とみなされれば,大衆は粗野,低級になる(大衆芸能,大衆小説,大衆酒場,大衆迎合など)。逆にエリートに高慢,浮薄,腐敗などの劣性を付与すれば,大衆は質朴,堅実,健康な存在として期待されることになる.
“大衆”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, , (参照 2020-08-13)
参加者(5名)
- もんざ (主催者)「大衆の反逆」オルテガ (著)
- たろうさん 「アフターデジタル2 UXと自由」藤井 保文 (著)
- あさはらさん「こころ」夏目漱石 (著)
- にしやまさん「グイン・サーガ」五代ゆう(著)
- maru(まる)さん「世界はシステムで動く」ドネラ・H・メドウズ(著)