どこに向かって努力をしているのか、方向性が重要だよなと思うもんざです。9月20日公開された、小田嶋隆さんのコラムを読みましたが、いつものようにグイグイと引き込まました。今回は、オリンピック組織委員会の行動にみる問題点とマスメディアの機能不全がテーマでした。
目を背けがちな事実とか、うまく言語化できないけど多くの人が違和感を感じる出来事をすくい上げて、「ほら、これじゃない?」と分かりやすく可視化してくれるから、小田嶋さんのコラムは人気があるんじゃないかな。
焦点がズレた頑張ってるアピールとか、論理じゃなくて感情で評価するシステムとか、居心地の悪さを感じるポイントが小田嶋さんと私は似ているので今回のコラムも共感しながら読めました。
さて、課題です。
わたしは、こちらを読みました。
■「強く生きるために読む古典」 (集英社新書) 岡敦 (著)
第7章は法然「選択本願念仏集(せんちゃくほんがんねんぶつしゅう)」のレビューです。浄土宗の開祖である法然上人が65歳のとき、権力者の求めに応じて1198年に作ったもので、この本の中で唯一取り上げられている日本の作品です。
私の故郷は富山県ですが、この地域は仏教の宗派分布図からみると浄土真宗のエリアに入るのです。私が通った幼稚園は浄土真宗のお寺が経営母体だったので、お釈迦様の物語を絵本で読んだりしていました。当時一緒に暮らしていた祖母も信心深いひとで幼少期に一緒に念仏を唱えたりしていたため、私の無意識レベルでの思想的な基礎は浄土真宗の教えになっている気がします。
浄土真宗の開祖は親鸞ですが、彼は法然の弟子だったので、基本的な教えは、ほぼ同じですね。
「念仏とは、本来、精神を統一して浄土を思い浮かべるなど、技術を必要とする難しい修行法だった。法然はそれを単に「口で言うだけ」の、誰にでもできる簡単な念仏にしてしまった。勝手に教義を変えることはできないから、もちろん法然の主張には根拠がある。それを書き記したのが、法然の主著『選択本願念仏集』である」
引用「強く生きるために読む古典」 (集英社新書) 岡敦 (著)
多くの人間が抱える悩みや精神的な苦痛を和らげるために、人間が作り上げた特効薬のひとつが宗教だと私は思っています。世界中で多くの信者を獲得している宗教は、どれも最終的な目的は同じ気がするんです。
表現する方法が、地域や民族によってバリエーションがあるだけで、本質はたいして変わらないんじゃないかと。でも、そこに組織ができ、ヒエラルキーができ、権力欲や支配力が生まれると、本質が歪められ、本来の宗教の意味を失ってしまう、そんな気がします。
読書会まで、あと6日です。
参加予定のみなさまは、ご紹介いただく予定の本をGoogleドキュメントに入力するか、投稿にコメントする形でお知らせくださいね。
■参加者(2名)
1.もんざ
2.にしやまさん
今日も読んでくださってありがとうございます。また明日もよろしくお願いします。