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「蜂が団子をこしらえる話」寺田 寅彦(1921年) 

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中学生のころ、飼い犬のシロを夕方に散歩させるのが日課だった。保健所で殺処分されるところだった白い子犬をもらってきたのだが、その生い立ちが原因なのか、彼の度を越して臆病な性格には、時々びっくりさせられた。

あるとき、散歩中に突然動かなくなって、地面の1点に向かって激しく吠え出したので、どうしたのかと思ったら、1匹の大きな毛虫がゆっくりとアスファルトを移動しているところだった。
おいおい、こいつがあんたを襲うって考えられないだろう、とシロの弱気さに呆れながらも、たしかに、かなり豪華に着飾っているタイプの毛虫だから、小さくても迫力はあるよなぁと、ちょっとシロに共感もしたけれど。

田んぼのあぜ道みたいなところが散歩ルートだったから、そのほかにも、カエルも、蛇も、トカゲもいたけれど、当時の私には、あまりにも日常的で、その環境を観察して描写するなんて思いもよらなかった。当時の私が、寺田寅彦の「蜂が団子をこしらえる話」を読んでいたら、どうだっただろう。もっと昆虫を見る目が変わっていただろうか。

作者は、いずれ美しい蝶々になる芋虫たちに庭の花々を食い荒らされることを嘆きながらも、じっくりと彼らの生態を観察し、また、彼らを捕食する蜂の様子も鮮明に描いている。

登場する毛虫、蜂、トカゲに対する作者の距離感が、ちょっと普通の人とは違う。庭の植物をむしゃむしゃと旺盛な食欲で平らげる青虫たちを箸でつまんで処分しながらも、人間の無用な娯楽のために、ほかの生物の命を奪うのは傲慢だなと考えている。

大人になった私は、室内に侵入したハエや蚊、ゴキブリを必死になって殺しながら、それでも少し罪悪感を感じるのだが、結局、人間の立場からはこうしなければならないのだ、と作者と同じ言い訳をする。

そういえば昨夏、友人と一緒に科学館で「昆虫展」をみたのだった。珍しく美しい標本と人間ほどのサイズに拡大された昆虫たちの模型を鑑賞しつつ、夏休みを楽しむにぎやかな親子連れの生態も同時に鑑賞していた。

たくさんの親子連れがいたが、歓声をあげたり、怒りの声を出す(「死んでる虫ばっかりじゃないか!」と怒って母親に訴えている男の子が面白かった)子どもたちに比べて、大人たち、とくに母親らしき人たちは、保護者としての義務感を優先させているようで、さほど楽しんで鑑賞いるようには見えなかった。

大人になっても、昆虫観察が楽しめる人は、いまも昔も多くはなさそうだが、たぶん、それは著者さんが指摘するように、ゆとりのなさ、なんだろう。大騒ぎして目が離せない子どもたちと一緒にいるお母さんには、ひとりでゆっくり昆虫観察できる時間があったら、かなり貴重に感じるに違いない。

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