課題図書1. Zoom読書会

19/03/18 (月)読書会まで5日

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経験値を上げて選択肢を増やす

たった10分だったのか、と驚いたもんざです。
「知らないということ」「信じすぎるということ」には注意が必要です。
というのも、私はGoogleマップを日常的に愛用しており、かなり信頼しているのですが、ときどき、裏切られて痛い目にあうからです。
自宅から、お出かけするときも目的地を設定して、徒歩や電車、車などでの移動時間とマップを頭に入れておかないと安心できません。
(いつも行く場所や、記憶に定着している場所は大丈夫なんですよ)

徒歩圏内にいくつかショッピングモールがあるのですが、いつも行くところは決まっています。
久々にめったに行かないショッピングモールに行ったら、なんと自宅から徒歩10分で到着したので、うわぁ、こんなに近くだったのか!!と驚いたのです。 (Googleマップで検索すると15分と表示されます)
たった5分ですが、お出かけしようと思うときにかかる心理的な負担が、私には違うのですよね。指示される経路も常に最適なわけではありません。
しかし、まったく道を知らないとGoogleマップを信じるしかないわけです。 でも自分の経験値があがると、徒歩なら使える抜け道や裏道のようなところも、脳内マップに蓄積されてくるので、Googleマップが示すルートに対して「ありがとう。でも私は別の経路で行くね」と言えるわけです。こういう、気づかずに思い込んでいることに対して、ハッとする気づきを得られる瞬間をもっと日常で増やしていきたいなぁ。

平凡な日常にひそむ物語

さて。課題です。
私は米原真理さんのエッセイ集「偉くない私が一番自由」を読んでいます。
この中に米原さんの卒論が含まれているのですが、そのなかにこのような記述があります。
(テーマはロシアの国民的詩人ネクラーソフの評伝です)

『詩人自身が後に「真実への転化は、ある意味では散文の執筆より来た」と語っているが、現実を、その毎日の平凡な生活を通して表現すること、一目見た限りでは、まったく本質的とは思えぬ日常の細微の中に、劇的物語や人々の悲劇が潜んでいる。これが散文経験による発見であった』

「偉くない「私」が一番自由」米原真理著 文春文庫

徒歩15分だと思っていたら実は10分だった、みたいな、私の平凡な日常にも、Googleマップとか、諸々のITテクノロジーを恩恵を日常的に受けるという経験の積み重ねから、思考停止に陥って与えられる情報を盲信しがちになる人間の弱さ、という問題的が含まれているんだよなぁと、ふと思ったりしました。
こういうことに気づいても、私には詩は作れませんけどね。
今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いいたします。

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