まるで映画を見ているように読書を楽しんでいたもんざです。
ずっと読みたいと思っていた「女の一生」(モーパッサン)をkindleアンリミテッドを利用してようやく読みました。
■女の一生 (光文社古典新訳文庫) Kindle版
モーパッサン (著), 永田 千奈 (翻訳)
モーパッサンは「首飾り」「脂肪の塊」などの短編も、どきどきしながら読めて魅力的でしたが、彼の初めての長編作品である「女の一生」(1883年)も、自然の描写がとても写実的で、読んでいると海や山、野原の景色が目の前に広がり、風の匂いや虫の羽音まで聴こえてくるようで、物語の世界に引き込まれました。
「女の一生」という日本語のタイトルですが、フランス語の原題は” Une vie”(ある人生)であり、著者が、性別を限定していないのは、ここで描かれる人々の生活と人生を善悪の判断を加えず、シンブルに読者にゆだねているからだと思いました。
フランスで貴族の娘として生まれた主人公のジャンヌ、彼女の父母、叔母や夫、教会の神父などの人物造形も細かく丁寧に描写されていますし、時代背景や文化を知らなくても、人間の営みは100年以上経っても、さほど変化していないため、古さを感じることなく読み進められます。
残念ながら、図書館には行けない環境になってしまいましたが、その代わりに、この調子で光文社の古典新訳文庫をkindleアンリミテッドで読むことを習慣にしようと考えています。
さて、課題です。
1883年のモーパッサン「女の一生」を読み、2018年のイギリスのテレビドラマ「Mrs. Willson」シーズン1のエピソード2を見て感じたのは、他人(夫)に自分の人生を委ねてしまった女性の悲劇は、あと数十年後も、物語のネタになるんだろうな、ということでした。(どちらも夫に裏切られる妻が主人公)
「重要なことは、知識の断片ではなく、自分の中にある知識を用いて、現実の出来事を説明できるようになることだ。そうでなくては、本物の知識が身についたとは言えない」(引用「読書の技法」佐藤優著)
自分に本物の知識がないと、現実の出来事を自力で読み解くことができず、周囲の意見に流されてしまって、不本意な結果に甘んじなければならない状況が増えます。でも、100年以上も前から、同じような問題で苦悩する人がいるのは、本物の知識を身につけることが、簡単ではないからでしょう。
今年のわたしは少しだけ知識の断片をつなぎ合わせて、現実の行動につなげることができましたが、今後も「本物の知識」を身につけるための努力は続ける必要があると思っています。
毎年、新しい一年を迎えるにあたり、自分なりのキャッチフレーズを作っています。
そろそろ2019年の分を考えなきゃいけないのですが「読書の技法」から見つかる気がしています。
今日も読んでくださってありがとうございます。
また明日もよろしくお願いいたします。