玄米を食べる生活を復活させたもんざです。
日本では、土鍋で玄米を炊いて食べていました。新潟の知人からいただくコシヒカリの玄米が非常に美味しくて、大好きでした。
白米も大好きなのですが、つい食べすぎてしまうことや、食後に眠くなってしまうことなどのデメリットもあり、自宅での食事は基本的に玄米食を中心にすることで献立を考えていました。
実は、マニラに来るとき、こっそり新米を3キロほどスーツケースに隠して持ってきていたのです。普通の鍋で炊こうと思っていたら、なんと炊飯器もお部屋のキッチンに付属されており、小躍りして自炊生活を始めました。マニラ生活1週間めくらいに、韓国のりと、キムチでコシヒカリを食べた時の至福感は、どんな高級料理店で食べたご飯より美味しく感じて、私って食道楽できないタイプだなって思いました。
とはいえ、毎日コシヒカリを食べているわけではありません。
こちらで買うとコシヒカリは高いので、いまはフィリピン産のお米を買っています。
フィリピンのお米は細長い粒のお米で水分量が少なく、炊いてもパラっとした食感で、日本のお米のように粘りやモチっとした食感ではありません。
そのため、日本のお米が食べたいと執着する方もいるようですが、私の場合は、もともと玄米食だったので、パラっとした食感で固めのお米を食べなれており、フィリピンの白米も全く抵抗感なく、美味しくいただくことができています。
しかし外食で玄米(ブラウンライス)は見かけないのです。まぁ、日本でも玄米が食べられるところは限定されていましたから、仕方がないことですね。スーパーでジャポニカ米のブラウンライスを買って炊いてみたところ、想像以上に美味しくて、またまた大喜びしています。ブラックライスとかレッドライス、というのも見かけたので、ブラウンライス5キロを食べきったら挑戦してみる予定です。
さて、課題です。
サンプルをダウンロードして少し読んだら、結局、我慢できずに「世界十五大哲学」を購入してしまいました。
「人間の精神生活のうちで哲学はもっとも重要な地位をしめているが、すべての人間はまた、哲学者である。すべての人間が哲学者であるというのは、常識のなかに、言語のなかにすでに哲学がふくまれており、すべての人間は、これなしには精神生活を営むことができないからである」(「世界十五大哲学」序文)
わたしも、みなさんも、言語を聴き、読み、書き、考えているすべての人は、すでに哲学者なのだ、という著者のことばに心を動かされました。この本は音読しつつ熟読し、改めて自分の骨格に組み込みたいです。
それができたら、新しい環境のなかで、もしも道に迷ったとしても、佐藤さんの著作や、このような優れた本が、進むべき道や考えるべきことを示してくれると思うからです。
今日も読んでくださってありがとうございます。
また明日もよろしくお願いします。