「知り合いと、友達の境目が分からない」と呟いたら、Kさんが「自分から会って話したくなるのが友達で、そうじゃないのが知り合い」という絶妙な基準を示してくださった。
なにをムダと考えるか
分かりやすい基準だ、と思う反面で、「自分から会って話したくなる場面」が非常に少ないことにも気づいて驚いた。
また私が話したくなる人は、自分にメリットをもたらしてくれると思われる人に限定されている、という点にも。
寂しいとか、暇だとか、用事もないのに、電話で話すことを時間のムダだと考えてしまう。
私は自分の時間をムダに奪われると怒りを覚えるようだ。(これは私の感覚でのムダであって、相手はムダだと思っていないのかもしれない、ということも、いま気づいた)
だから、他人も同じように時間を貴重だと考えているはずだと思い、こちらから会おう、話そうとオファーする時は、それなりの理由がなければならない、と考えて二の足を踏んでしまう。
面白いのは、私はそれが当然だと考えていたことに、Kさんの基準を聞くまで無自覚だったことだ。
そしておそらく、他の人たちは私と同じ感覚ではない、ということにも。
ひとりでいることに最適化
私は、一人でいることを最適化するように選択してきたのだと思う。
精神的な安定と強さを得るために、こだわりをどんどん捨てていった。
他人の感情や意見に、反応しすぎると疲弊するから。
反社会的にならない程度に、周囲の雑音をそぎ落としていくと、どんどん生きやすくなっていく。
長所と短所
その反面、集団生活は人並みにできるが、他の人の感情への配慮に欠ける、と言われてしまうのかもしれないなぁ。
この気づきを得られたのは、2022年の収穫のひとつかな。
これは私の長所でもあり、短所でもあってコインの裏と表の関係だろう。
自分の核となる価値観だから変えられない。でも、これで自分の思考のクセが分かった。
2023年はもう少し他者とうまく関われるようになる、かもしれない。