ふとした気づきTrial&Error

あたりまえを疑ってみるとスペシャルな体験ができるかもしれないという話

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ふとした気づき
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なぜ物理学と哲学が近いのか、ようやく少し腑に落ちてきました。以前、世界十五大哲学を読んだとき、哲学とは、すべてのことを一度は疑ってみることだ、と書かれていて、その頃は、うーん、それは分かるけど、実際に自分でやるのはなかなか大変そうだな、と思ったんですよね。

でも、最近になって急に「時間って何だろう」という疑問にとらわれるようになってから、ようやく少し「当たり前を疑う」ことの意味と大切さが実感できてきました。

それまで当たり前だと思っていたことが、ぜんぜん当たり前じゃない、と気づけた時点で、すでに別世界に一歩踏み込んでるんでしょうけど。その「あれ?これは?どういうこと?」という疑問を手に入れることって、実はかなりスペシャルな体験な気がします。

それがスペシャル体験だって気づける状況にいるのも、幸運だと思うんですよね。だって、毎日の生活に手一杯でゆとりがなかったら、「当たり前のことを疑う」なんて、そんな悠長なことを言ってられません。

ダーウィンは親の遺産がたっぷりあったので、自分の好きな研究を生涯をかけて追及することができました。進化論という当時のキリスト教社会から異端視される理論であっても、疑問を手放さず、諦めずに、掘り下げていったんですよね。彼は、ものすごく苦しんだと思うけれど、誰でもが手に入れられるわけではないスペシャルな疑問とそれを追求するという体験を手に入れられたのだから、ものすごく幸福な人でもあったと思います。

学問って、いろんなジャンルに分かれているけれども、実はいろんなところで繫がり合ってるんですよねぇ。体系的に学んでいれば、それが繋がってくるのでしょうね。私は、興味がおもむくままに読書をしているので、「当たり前のことを疑って、それを掘り下げていく」という姿勢の強化が課題なんです。ただ「時間ってなんだろ?」という疑問が、いまの自分に降ってきたのは、まさにスペシャルな体験だと思っているので、頑張って掘り下げていこうと思ってます。

限りなくさかのぼる、ということは人間にとって不可能なことだが、できる限り前提をはっきりさせて議論をすすめるのが、哲学のやり方である。常識でははっきりしていると思われている前提でも、少なくとも一度は疑ってみて、再検討するのが、哲学の主要な仕事の一つである。

世界十五大哲学 (PHP文庫) 大井 正 (著), 寺沢 恒信 (著)

アインシュタインは、時間が「時計で計られるもの」であるのと同じように、空間を「物差しで測られるもの」と定義した。そこで考えなければならないのは、「物差しが、尺度として使えるような決まった大きさを持つのはなぜか」という問いである。
 多くの人は、物体が決まった大きさを持つのは当たり前すぎて、なぜそんなことを問題とするのかわからないと思うだろう。大きさという概念自体、何を意味するかは自明で、改めて問い直そうと思わないのがふつうである。

「時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」」 (ブルーバックス) 吉田 伸夫 (著) 第1部 現在のない世界 第1章 時間はどこにあるのか
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