自分の弱点がようやく自覚できました。私は、文字がちゃんと読めていません。
ここで私が使っている「ちゃんと読む」という意味を定義すると、「要約して内容を人に説明できる程度の理解ができているかどうか」になります。
何が問題か
先日、参加者が輪読するタイプの勉強会に参加して、ハッとしました。
小学校や中学校の国語の授業のように、ひとりひとり、順番に音読していくので、必然的に他の人が読んでいる内容を眼で文章を見ながら耳できくことになります。
そうすると、読みまちがいがあると、意識にひっかかるんですよね。あれ?って。
私は、読みまちがえた人を責めているわけではありません。
私も間違えるし、読めない漢字だってある。問題はそこじゃないんです。
著者が意図していない読み方や、自分勝手な解釈を知らないうちにやってるんじゃないか、と気づいたからです。
カーネマンは「ファスト&スロー」で、人間の脳は、自分にとって理解が難しいことを単純化して簡単なこととして理解しようとするクセがある、と指摘しました。
まさに、私は自分がそれを無意識のうちにやっているのではないか、と気づいたんです。
そして、そのせいで、物事の本質に対する理解度が落ちているんじゃないかと思うんです。
音読の重要性
なぜ、声を出して読まなきゃいけないのか。なぜ、この方法が古来から学習方法として有効なのか。
これが非常によく分かりました。音読すると、分からないことを簡単にスキップすることが難しくなるのです。不明な点が明確に自分自身に突き付けられる。
ちゃんと読めていない人は、明らかに書かれた内容を理解できていません。
ほかの人がたどたどしく音読する声を聴いて、あれは私自身だ、と思いました。
過去に、自分の知識のなさに焦って、とにかくたくさん読まなければ、と身の丈に合わないような本を図書館で大量に借りてきたことを思い出します。
結局は、読んだ気になっていただけで、ちっとも頭に残っていませんでした。
そんなわけで、今は心を落ち着けて、ゆっくりと古典を音読する時間を持つようにしています。
もっと速く、たくさん読みたいと思う気持ちもあるけれど、急がば回れ。
血肉になる本(古典)を選んで、コツコツ読み進めていくことで、現在のさまざまな事象についての理解力があがるはず。
ちなみに、勉強会で読んでいた本は、ダンテの「神曲」(煉獄編)です。参加者が輪読しつつ、先生が解説し、内容について現代の事象に絡めた質問をされるため、非常に思考が深堀されて面白いんですよね。
声は、目だけでは見つけることのできない文章の穴を発見する。声は思いのほか、賢明なのであろう。前に「平家物語」の”頭がいい”ことを書いたが、やはり声によって洗練されたものと思われる。音読してみても、とどこおることがなくて、はなはだ流麗である。おそらく、琵琶法師の声による無数の推敲を経て、あのような結晶的純度に達したのであろう。声で考えることの大切さを改めて考えさせられる
(思考の整理学 (ちくま文庫) 外山滋比古 (著) 筑摩書房)
本をゆっくり読むことは大切です。第一に、そうすることで、たくさんある本のなかから読まなければならない本、読みたい本を選びだす手間がおおいにはぶかれる。「源氏物語」に手間どっていれば、その手間どっているあいだに、今月のどういう小説がおもしろいだろうかと心配する必要がなくなるといったものです
読書術 (岩波現代文庫) 加藤 周一 (著)