今から110年前の朝日新聞に、3ヶ月間連載されていた夏目漱石の長編小説「門」を読みました。色々な楽しみ方ができたので、読書記録を残しておきます。
まだ読んだことがない人は、予備知識なしに読むことをお勧めします。
でも読者対象は、若者よりも、中高年で、ある程度、明治時代の生活水準や文化などの歴史を理解している人かな。現代では使われなくなっている言葉や風俗もあるので、電子書籍で読むと、すぐに用語が検索できるから理解度が深まるかと。
3つの楽しみ方
- 情景の繊細な描写を楽しむ
- ミステリー小説として楽しむ
- 現代と明治時代を比較して楽しむ
いま、私が日本に住んでいないから、余計に郷愁を感じるのかもしれませんが、日本家屋や、着物、四季の移り変わり、炬燵や銭湯、大晦日から正月の過ごし方などの描写から、本当に音や匂い、光が見えるようで感銘を受けていました。
現代(2020年)の東京で暮らすサラリーマンと、主人公の宗助の暮らしぶりを比較しながら読むのも非常に面白いし、物語の展開も、読者を飽きさせない工夫があるので、楽しめます。
繊細な情景描写
ごく普通の日常生活の風景が描かれて、まるでテレビドラマか映画を観ているような気持ちで読者は物語の中に引き込まれていきます。
宗助は先刻から縁側へ座蒲団を持ち出して、日当たりの好さそうな所へ気楽に胡坐をかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。秋日和と名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄の響が、静かな町だけに、朗らかに聞えて来る。
私は、「縁側」「座蒲団」の文字を見て、なんとなくサザエさんの家をイメージしながら読んでいたのですが、宗助の家は夫婦二人でも手狭なところで、その様子も漱石は目に見えるように描いているので、間取り図が書けるほどです。
ミステリー
私の場合、ほとんど予備知識なしで読み始めたので、ミステリー小説のように楽しめました。いったい、この夫婦は何をしたせいで、こんなに無気力になってしまっているのだろう?と、不思議でなりませんでした。
彼らは自業自得で、彼らの未来を塗抹した。だから歩いている先の方には、花やかな色彩を認める事ができないものと諦らめて、ただ二人手を携えて行く気になった。
「門」夏目漱石(著)
漱石は、このような書き方で、彼らの言動を解説してはくれるのですが、明確な言葉では読者に示してくれません。中盤以降で、なるほど、そういうこと?と分かる組み立てになっています。
明治期の暮らし
100年経っても変わっていないぞ!と驚いたのが、主人公宗助が日曜に電車に乗っている場面で、愚痴をこぼしている場面。
ところが日曜の好天気にもかかわらず、平常よりは乗客が少ないので例になく乗心地が好かった。その上乗客がみんな平和な顔をして、どれもこれも悠(ゆっ)たりと落ちついているように見えた。宗助は腰を掛けながら、毎朝例刻に先を争って席を奪い合いながら、丸の内方面へ向う自分の運命を顧みた。
「門」夏目漱石(著)
東京都内での電車通勤経験がある方ならば、宗助のこの気持ちは理解できるでしょう。
全然ちがうな、と思うのは、物価と庶民の暮らし方でしょうか。
叔母の云うところによると、宗助の邸宅を売払った時、叔父の手に這入った金は、(中略)なお四千五百円とか四千三百円とか余ったそうである。
ほかにも、生活が苦しいはずなのに、宗助の家には、住み込み女中さんがいて、妻の御米と一緒に食事の支度をしてくれる光景が当たり前のように描かれている点などは、現代の日本社会と大きく異なる点なので、面白かったです。
もう一回読みたい度
明治期と現代を比較する資料としても面白い作品です。100年前と現在を比較するときに事例として使うことで考察を深められそう。
まとめ
主人公の宗助が禅寺に行くところなども、数回ですが鎌倉の禅寺で真夏に座禅体験をしてみたこともあるので、興味深く読むことができました。(私は、自分を仏教徒だと思っています)
瀧本哲史さんの本を読んだ後だったので、宗助だって、いくらでも自灯明になれるのになと思ったりもしました。でも、やはり、その時代の倫理観や社会的価値観から個人が完全に逃れることは不可能なので、難しいところです。(ネタバレになるので、あまり詳しくは書けませんが)
文学作品に描かれた世界を眺めると、100年でも、全く変わってしまうものと、あまり変わらないものがあることが良く分かります。特に倫理観なんて、信じられないほど変わっています。(結婚制度、家族制度、職業観など)
今月は、1911年に出版された西田幾多郎の「善の研究」も読んだのですが、結局のところ、より長く人びとの心に残って語り継がれていくのは、漱石が描くような「物語」の世界で、そうした力を持つ作品が長く人びとの心を動かし、行動に影響を与えるのでしょう。