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「反知性主義」と「大衆の反逆」

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読書感想
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今回は、森本さんの「反知性主義」の内容と、オルテガの「大衆の反逆」との関連について考えていました。共通するのは、自由主義の生み出す問題です。

「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」(新潮選書)森本 あんり (著)
(9月の読書会までに、この本を読み終えて感想を共有する予定で準備をしています)

他者と共存する自由

現在の私たちは、18~19世紀の人々が想像もできなかったような、自由と平等を手に入れました。20世紀初頭(1930年頃)のスペインの現状に苦言を呈しているオルテガは、こんなふうに言っています。

「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。われわれは自由主義の生み出した、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である

「大衆の反逆」オルテガ

この他者と共存する義務と責任をもった自由を保全する、ってところ、反知性主義とも繋がるキーワードだと思いました。コロナによるパンデミックで、人類は世界レベルで共存できる社会をつくることに自覚的になっているはず。

自由主義的デモクラシー

また、オルテガは、「政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそを、自由主義的デモクラシーである」と言っているのですが、実際のところ、アメリカも日本も、自国優先主義をますます強めているように思います。

アメリカで生まれた反知性主義は、当初は、聖書の教えを基に、権力とインテリ階級の癒着を嫌悪するところから生まれて、特権階級が権力、富、知識を独占することを防ぐ有効な役割を果たしていました。それがやがて、過剰な自己満足、自己肯定感となり、正しく状況を俯瞰する視野を失った大衆を増産していったようなのです。

学歴があってもなくても、金持ちでも貧乏でも、人間の権利は平等で自由だ、という主張は、現代社会では当然のこととして受け入れられています。でも、現在成功している人たち(金持ち)は、神に認められたから成功しているんだ、と調子に乗っちゃったり、貧乏なのは神に認められていないからだ、というような解釈をして、自己責任論を持ち出して弱者(例えばマイノリティなど)から搾取することを肯定しちゃってるのは、けっこうヤバいだろうと思うんですよね。

もちろん、正しく反知性主義をもった人たちも多いでしょうが、現在のアメリカ大統領の排他的政策とそれを強力に支持する宗教母体エヴァンジェリカルの存在は、どうも、世界のリーダーって感じじゃない気がします。

ひるがえって、日本のことを考えたときに、日本はずっとアメリカ追従主義で政治も経済も動いているんだけど、現状維持でいいよね、って考えは捨てて、そろそろヤバそうなリーダーを見限って、ちゃんと自立するか、あるいは、もっと頼りになるリーダーを見つけるかを、真剣に考えなきゃいけない時期に来てるんじゃないかな。なんてことを、考えておりました。

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アメリカの反知性主義
知識人とは何か、知識人は民主主義の実現に貢献する力になれるのかと問いつづけ、アメリカの知的伝統とは何かを問う、感動のノンフィクションであり、アメリカ史の古典。 1952年、マッカーシー旋風の吹き荒れるなかで行なわれた大統領選挙は、「知性」と...
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