第3編「善」第1章~第9章までを読んだなかで、気になったところをメモしておきます。
「善の研究」 西田 幾多郎 (著)
「NHK 100分 de 名著 西田幾多郎『善の研究』」 講師:若松英輔
「竹は竹、松は松と各自その天賦を充分に発揮するように、人間が人間の天性自然を発揮するのが人間の善である。(中略)それで花が花の本性を現じたる時最も美なるが如く、人間が人間の本性を現じた時は美の頂上に達するのである。善はすなわち美である。たとい行為その者は大なる人性の要求から見て何ら価値なき者であっても、その行為が真にその人の天性より出でたる自然の行為であった時には一種の美感を惹くように、道徳上においても一種寛容の情を生ずるのである」
(第3編善 第9章善(活動説)「善の研究」 西田 幾多郎 (著))
ここを読んで、チクセントミハイの「フロー体験」を思い出しました。
「時間や労力を忘れるほどの高い集中力を発揮し、快感情を伴い作業に自己没入する体験のこと。心理学者チクセントミハイ(Mihaly Csikszentmihalyi 1934~)により提唱された。報酬や罰には左右されない内発的に動機づけられた、また自分の能力を試すことができるような行為において、生じやすい。」
(”フロー経験[心理学]”, 情報・知識 imidas 2018, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-07-09))
若松英輔さんのアドバイスに従って、この本を4章→3章→2章→1章と読み進めていますが、西田哲学のキーワードである「純粋経験」とか「実在」って、ミハイのいう、フローに近い状態じゃないかと仮定しています。
とにかく持ってる知識を総動員しながら、こんな感じ?それとも、これ?みたいな感じでパズルのピースを探しています。
意味が異なる用語
分からなくなってくるので、100分de名著/若松英輔監修を参考に、用語を整理してみました。
- 宗教=現代人が考える宗派宗教とは異なる=人間を超えた大いなるもの(真理、実在などの言葉で表現できない人間の思考を超えたもの)を言語表現をかりて説いたもの=哲学とつよく関連する
- 宇宙=森羅万象の異名(外的空間+内的世界)
- 神=内界と外界の双方の根本のはたらき=人間を超えながら、同時に人間の心に内在する=確かに存在するが知り尽くすことはできない
- 実在=純粋経験を通じてのみ経験される=日常の直感的な経験をありのままに感じる
- 純粋経験=知的直観、知的直覚。じかに観ること。
- 知識=頭と身体の両方で知ること
- 情意=かんたんに言語化できない心の働き
- 認知(にんち)=客観的に再現可能に理解すること
- 認識(にんしき)=個々の人間が、それまでの経験を踏み台にして、心身の両面で理解を深めること
- 動揺(どうよう)=一瞬たりとも同じ世界は存在しない倫理=人生学
- 一致する=異なる二つのものが、異なるままで共鳴し共振するイメージ=哲学的経験の始まり
- 私=意識的自己(自我)=表面だけの理解で他者に開かれていない
- わたし=真の自己=人間を超えるものを真摯に求める=謙虚さ
- 目的=善を求める本能的な衝動人類=自然と共生しうる者(自然を支配する者ではない)
今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。
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