第3編「善」第10章~第13章までを読んだなかで、気になったところをメモしておきます。ここまで読んできて、いまさらですが、西田さんって、かなりポジティブ思考な先生だという気がしてきました。それが当時から現代まで続く人気の秘密なのかな。
「善の研究」 西田 幾多郎 (著)
「NHK 100分 de 名著 西田幾多郎『善の研究』」 講師:若松英輔
また人は個人主義と共同主義と相反対するようにいうが、余はこの両者を一致するものであると考える。一社会の中にいる個人が各充分に活動してその天分を発揮してこそ、始めて社会が進歩するのである。個人を無視した社会は決して健全なる社会といわれぬ
(第3編善 第12章 善行為の目的(善の内容)「善の研究」 西田 幾多郎 (著))
すごく当たり前のことを言っているように思います。ここで言われる「個人主義」は現代の私たちが考える意味とは異なり、「利己主義」の対義語とのこと。
「善」は私たちの中に種子として存在します。しかし多くの人にとって、種子は何かに覆われていたり、土に埋まっていたりするため、見えないことが多い。私たちはそれを「行為」によって見出し、体得しなくてはならない。その道を照らすのが西田の考えた哲学だったのです
(第2回善とはなにか 「NHK 100分 de 名著 西田幾多郎『善の研究』」 講師:若松英輔)
この若松さんの解説を読んでも、西田さんが教育者だということを強く感じます。道徳的な分かりやすさもあるし、読者の潜在的な力を認め、引き出そうとしているのかな、とも思いました。
意味が異なる用語
分からなくなってくるので、100分de名著/若松英輔監修を参考に、用語を整理してみました。
- 宗教=現代人が考える宗派宗教とは異なる=人間を超えた大いなるもの(真理、実在などの言葉で表現できない人間の思考を超えたもの)を言語表現をかりて説いたもの=哲学とつよく関連する
- 宇宙=森羅万象の異名(外的空間+内的世界)
- 神=内界と外界の双方の根本のはたらき=人間を超えながら、同時に人間の心に内在する=確かに存在するが知り尽くすことはできない
- 実在=純粋経験を通じてのみ経験される=日常の直感的な経験をありのままに感じる
- 純粋経験=知的直観、知的直覚。じかに観ること。
- 知識=頭と身体の両方で知ること
- 情意=かんたんに言語化できない心の働き
- 認知(にんち)=客観的に再現可能に理解すること
- 認識(にんしき)=個々の人間が、それまでの経験を踏み台にして、心身の両面で理解を深めること
- 動揺(どうよう)=一瞬たりとも同じ世界は存在しない倫理=人生学
- 一致する=異なる二つのものが、異なるままで共鳴し共振するイメージ=哲学的経験の始まり
- 私=意識的自己(自我)=表面だけの理解で他者に開かれていない
- わたし=真の自己=人間を超えるものを真摯に求める=謙虚さ
- 目的=善を求める本能的な衝動人類=自然と共生しうる者(自然を支配する者ではない)
- 個人主義=利己主義の対義語としている(利他主義)
今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。
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