読書感想哀sad

ジョージ・オーウェル「動物農場」弱腰

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読書感想
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2011年3月11日は東日本大震災が発生した日で、そこから、色々なものが変わり始めたと思う。
天災によって無理やり生き方を変えさせられた人もいるだろうし、そういう状況を見て、自分の生き方を考え直した人もいる。
私は後者だった。人生いつ何が起こるか分からない。事なかれ主義で、その場をしのいでいると、きっと後悔する。
そう思って、新しい一歩を踏み出した。とはいっても、もともと弱腰なのだ、私は。

つまりここで批判されているのは、独裁者や支配階層たちだけではない。不当な仕打ちをうけてもそれに甘んじる動物たちのほうでもある。その後も、何かおかしいと思って声をあげようとするけれど、ヒツジたちの大声に負けて何も言えない動物たちの姿は何度も描かれる。

訳者あとがき「新訳 動物農場」ジョージ・オーウェル著 山形浩生訳

オーウェルが本格的に「動物農場」を執筆し始めたのは1943年。ウクライナ語版の序文によると、ソ連の神話を破壊するような寓話を目指して作られたとのことで、山形さんの新訳本だと、そのあたりの事情も読めるのでお得感がある。このあたりの付録は、本編を読み終わったあとに読むと、謎解きのような楽しみも味わえると思う。

この作品について何かを言いたいとは思わない。作品がそれ自体で語れないなら、それは失敗作だ。

動物農場」ウクライナ語版への序文「新訳 動物農場」ジョージ・オーウェル著 山形浩生訳

読み終わったあと、私の心に深く突き刺さるのは、馬のボクサーとロバのベンジャミンの存在だ。
彼らのようにならないためには、どうしたらいいんだろう。

力と行動力はあるが、知恵が足りないボクサー。
知恵はあるが、行動力と勇気が足りないベンジャミン。

彼らがお互いの欠点を補い合って、現実から目を逸らさずにいたら、豚のナポレオンの暴走を食い止められたかもしれない。
とはいえ、現実社会で、権力に抗うことや、そこに批判を加えることは、ときに命がけだ。
実際に権力者に抹殺されるジャーナリストもいる。

弱腰な態度は権力者をつけ上がらせる、だから、私たちは声を上げるべき時には、きちんと声を上げなければいけない。
あとがきで山形さんは書いている。
たぶん、初期段階で、なにかしらのアクションが起こせるかどうか、そこがポイントなのかもしれない。

何かひとつ妥協して、まぁ、これくらいは良いか、と諦め始めると、芋ずる式に負の連鎖が起こるものだ。
ジャンクフードや果糖ブドウ糖を日常的に食べ続けると、食欲のコントロールが難しくなり、運動がおっくうになり、太り始め、ますます食べるようになり、さらに運動できなくなり、やがて肥満が病気を引き起こす、みたいな負の連鎖は、いったん深みにハマると自力で脱出するのが難しい。

あれ、何かおかしいな、という感覚を放置せず、そこからほんの少しでもアクションを起こすのだ。

この作品からは、3つの視点を学ぶことができる。
豚のナポレオンのような生き方をしたい人は、この作品から騙しのテクニックが学べる。
ナポレオンにコントロールされる他の動物たちの生き方からは、安易な妥協を続けることの代償はどれほどなのかを学べる。
豚のスクゥイーラーのように口先三寸で、権力者に加担して、弱者を搾取する片棒を担ぐ方法も学べる。

さて、私だったら?4つめの選択肢を考えるかも。
ひとりでコッソリと動物農場を逃げ出す、とか。究極の弱腰だけど。
だって、動物農場にいる限り、どの生き方も地獄だ。
心の平安がない。

あ、でも疑うことを知らなかった馬のボクサーは、ある意味では幸福だったのかもしれない。

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