日経ビジネスのオンラインゼミナール小田嶋隆の「ア・ピース・オブ警句」~世間に転がる意味不明~は毎回とても勉強になる。このゼミは、日経ビジネスのランキングでも、上位になることが多いので、私のような固定の読者が毎回更新を楽しみにしているのだと思う。小田嶋さんの独特の文章は少しクセがあって中毒性が高いのだ。特に7月26日のゼミナールでは、長年の胸のつかえが取れる思いがした。ああ、私がうまく言語化できなかったことを、こうして分かりやすく表現してくれる人がいる。これだったんだ、これが気持ち悪さだったんだと、原因が分かった後の爽快な気持ちになった。
「家族という物語の不潔さ」というタイトルを見た瞬間に、うわ、過激だな、これ、タイトルだけ読んで突っかかってくる人がいるんじゃないかな、と少し心配した。(案の定、Twitterで攻撃的な発言をしてくる人がたくさんいたらしい)けれど、吉本興行の社長が社員に対して行ったハラスメントを「家族だと思っていたから」という理由で正当化しようとしていたことを知って、私も首を傾げていたから、小田嶋さんのゼミを読んで、気分がすっきりした。
違和感を言語化する
前日にデイリー新潮の鈴木大介さんの記事 (亡き父は晩年なぜ「ネット右翼」になってしまったのか )を読んで、中毒性のある文章って何だろうと考えていたところで、小田嶋さんの記事を読むことができたのも、タイミングがよかった。
自分の思考を意図的に歪めようとしたり、憎しみを煽ったり、誰かの利益を誘導しようとしている文章と、現実をありのままに受け止めて、気持ち悪いことは気持ち悪い、と言える文章は全然ちがう。名前と素性を明らかにして、自分の意見を正々堂々と書き、反論にも対応している書き手の勇気と誠実さと強さに心を打たれる。
自分は大丈夫と思わないほうがいい
人間が抗うことのできない本能をいかに利用するかを考えているメディアや、商業主義だけのためめに文章を書いている人や組織に利用されないために、個人ができることは、知識をつけて、リテラシーを上げることだと思っていたけれど、鈴木さんの記事を読んで少し考えが変わった。
誰でも鈴木さんのお父さんのようになってしまう可能性はあるのかもしれない。知的好奇心が旺盛で、リテラシーも高かったはずの親が病によって弱った心と身体のために、誤った情報にすがってしまい、尊敬できない人格に変わってしまった、という物語は、衝撃だ。私も、ガンの末期になったら、仮想敵を作って、それを攻撃することでしか心の安らぎを得られなくなってしまうのだろうか。恐ろしすぎる。そんな自分には絶対になりたくないと思う。
小田嶋さんと鈴木さんの記事を読んで、家族とメディアについて、ちょっとだけ考えてみた。