要らない、と思っていたものが実は肝要だった、と気づいたもんざです。
カラマンシー(沖縄のシークワーサーと同じかな?)という柑橘フルーツが大好きで常備しています。 直径2、3センチの実をナイフで半分に切って、3個ほど冷たいお水に果汁を絞って飲みます。 爽やかなグリーンの香りで酸味が強く、ライム水のような味わいです。ただ、果実が小さいのに種がたくさん入っているので、絞ると種も一緒にごろごろ入っちゃう。 飲むときに邪魔になるから、果汁だけ入れたいな、と思っていました。
でもね、茶こしを買って果汁だけ入れたら、美味しくないのです。
最初は、味の違いを気のせいだと思っていたのですが、違いました。
種も含めて全部を入れるから、あの味になっていたんだ、と気づいたときは、ハッとしましたよ。こういうことって、他にもあるんじゃないかって気がしています。
ちょっとみると不要なんだけど、実は全体的なバランスを保つうえで、なんらかの役割を担っているものを、私は良く考えずに切り捨てていないだろうか?
カラマンシー水は、違いに気づいたから、すぐに茶こしを使うのを止めたけれど、もしかしたら、高級な茶こしを、このためだけに購入していたら、サンクコストを発生させてしまって、ずっと茶こしを使い続けていたかもしれない。「あれ?なんか変だぞ」と思ったときに、どこまで思考を広げて、それを行動につなげられるか、というサンプル事例として自分の中にストックしておきます。
さて、課題です。
私は「考え方 How to Think」という本を読んでいます。1頁に意味の分からない単語や人名がいくつも出てくるので、何とか効率良く用語検索できないかなぁ、と思って結局はGoogleドキュメントに本文を書き出しています。
テキストを音読して、スマホ(android)のメモ帳に書き出したものを張り付けて修正するやり方がゲームみたいで楽しいので気に入っています。
原稿があるものを読み上げるだけなら、音声入力も比較的にスムーズにできるのですが、原稿を作るところから音声入力をするスキルが、まだまだ未熟です。ただ、これも「カラマンシー」と「茶こし」じゃないですが、一足飛びに結論に飛びつくんじゃなくて、試行錯誤することが大事なのかもしれません。
いかに、それを自分自身が楽しむか、ってところが私にとっては重要なところみたいです。
今日も読んでくださってありがとうございます。
また明日もよろしくお願いします。