カラマーゾフの兄弟が2巻で終わりだと勘違いしていたことに気づいてショックを受けているもんざです。
光文社の亀山郁夫さん訳本を図書館で借りて読んでいるのですが、岩波文庫が上下巻だったせいで勘違いしたのかな。
あ、違う!岩波文庫も4巻セットだ。新潮文庫も上中下の3巻セットだし。光文社版が別冊も含めて全5冊で、一番ボリュームがあったのでした。ま、いっか。面白いし。まだ第2巻目ですけど、少しずつ読みすすめてみます。
どうして私が、この本をそんなに面白く感じるのかなぁと考えてみたら2点理由がありました。
・登場人物のキャラクターに親近感を覚えた
・物語の展開が読めない
好感は持てないのですが、眉間に皺を寄せながら「あぁ、こういう人いるわ…」と思い出す感じの親近感です。父フョードルの歪んだ価値観とか、淫婦グルーシェニカの、男にはモテそうだけど、いかにも同性に嫌われそうな女っぷりと態度とか、端役の登場人物でさえも本当に実在しているかのような立体感で描かれているので飽きません。
誰が何をして、どんな結末を迎えるのやら、2巻を読み終わったところでは、さっぱり予測がつきません。それがまた読書欲をそそります。
2巻の「プロとコントラ」の章(次男イワンの超長い一人語り)で少し読み疲れて先に進めなくなってたんですが、そこで、気分を変えようと村上春樹の「騎士団長殺し」(第2部 遷ろうメタファー編)を読みました。これが、ちょうど良かったみたい。古典の偉大さを思い知りました。村上春樹のこの作品も、何カ国語にも翻訳されるでしょう。でも、この作品が、1880年に書かれたカラマーゾフが137年後の日本で読まれているように、読み継がれ語り継がれる物語になるかと問われたら、そこまでの強力な磁力は、残念ながら感じられませんでした。だから余計に、カラマーゾフを読み終えたい欲求が高まったんですけどね。
もうひとつ、面白いと思ったのが「仏教」と「ロシア正教」に似ている要素を2点見つけたことです。
・苦行(真言密教=即身仏になる。餓死する)
・祈りで救われる(浄土真宗=南無阿弥陀仏を唱えれば万人が救われる)
2巻の終わりでゾシマ長老(ロシア正教のカリスマ神父)が、キリスト教の教義を延々と語るのですが、それを読み、浄土真宗の開祖である親鸞聖人の言葉を書き起こした「歎異抄」と似ていることに気づいて驚きました。私の祖母が、お仏壇の前で「阿弥陀経」を唱えていた姿を覚えています。親鸞聖人(1173-1262)の時代から700年以上経ても変わらず語り継がれる物語です。国や時代が異なっても、人間の本質って変わらないんだなぁ。
カラマーゾフの兄弟 全4冊 (岩波文庫)
ドストエーフスキイ (著), 米川 正夫 (翻訳)