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読書会までラスト10日/エピデミック

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9. 読書会(勉強会)
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コミットメントが背中を押すんだなと思うもんざです。

1週間ごと、四半期ごとの振り返りをしています。

ひとりではできません。

Facebookグループに参加させてもらっています。

子どものころから嫌なことや苦手なことは見ないふりをするクセがありました。
だから苦手意識が強かったのですがコツコツと継続して、ようやく嫌悪感が抜けてきました。

グループの人たちが頑張っているのも励みになります。

でも一番は、改善した成果が目に見えるようになってきたことかな。

進捗報告

さて、今月みなさんと共有したいのは、こちらです。

「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)

今回は、第2章「エピデミック」から興味深いと感じた部分を共有します。

この章を読むと、私たちが「依存症」だと考えるものが、いかに社会のシステムによって製造されているのかを理解できます。

産業エピデミックには、現代のアルコール、加工食品、銃などの例が含まれ、その原因は、業界による有害な製品の宣伝と、このような製品の被害を制限する公衆衛生上の対策が業界によって骨抜きにされたことにある。この傾向は、企業の統合とグローバル化が進むにつれ、勢いを増すばかりだ

(第2章 エピデミック、第I部 名前を探して)「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)

たまたま相手が悪かったのではなく、依存症のエピデミックは何百年も前から現代社会生活の特徴であったということだ。産業界が、潜在的に有害な製品をその有害性による費用を負担することなく販売できる状況にあるかぎり、このパターンは繰り返される。

(第2章 エピデミック、第I部 名前を探して)「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)

その製品を販売している人は誰か、最もその製品から利益を得ている人は誰なのか。

生産量が限られ希少性が高かったタバコ、酒、砂糖などは、大量生産して世界中に販路が広がったことで、問題が生じました。

継続して大量に摂取することで、ゆっくりと緩慢に、あるいは急速に利用者の健康を損なうわけです。

健康被害が発生するとしても、そこは大人の自己責任とされます。

なんだか、やっぱり変ですよ。

今日も読んでくださってありがとうございます。また明日もよろしくお願いします。

参加者(1名)

  1. もんざ「依存症と人類――われわれはアルコール・薬物と共存できるのか’」みすず書房 カール・エリック・フィッシャー (著), 松本俊彦 (著), 小田嶋由美子 (翻訳)

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共有予定の本

ある時代には酒や薬物に耽溺することは「堕落」と見なされ、ある時代には「下級階層の流行病」と見なされた。またある時代には、たとえ同じ薬物でも、特定のコミュニティで使用すれば「医療」だが、別のコミュニティに属する者が使用すれば「犯罪」と見なされた。
アルコール依存症から回復した精神科医が本書に描くのは、依存症の歴史であり、その概念の歴史である。自身や患者の体験、過去の有名無名の人々のエピソードに加え、医学や科学のみならず、文学、宗教、哲学にまで踏み込んだ豊饒な歴史叙述によって、依存性薬物と人類の宿命的な繋がりが浮かび上がってくる。
依存症は「病気」なのか? それとも、差別や疎外に苦しむ者に刻印されたスティグマなのか――? 圧倒的な筆力で依存症をめぐるさまざまな神話を解体し、挫折と失敗に彩られた人類の依存症対策史をも詳らかにする。

「本書は、米国のみならず、国際的な薬物政策に大きな影響を及ぼす一冊となりうる力を備えている。その意味で、依存症の治療・支援はもとより、政策の企画・立案、さらには啓発や報道にかかわる者すべてにとっての必読書であると断言したい」(松本俊彦「解題」より)

<内容:みすず書房 書誌情報より> 依存症と人類 | われわれはアルコール・薬物と共存できるのか | みすず書房
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