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思い込みから離れる

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Zoom読書会
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久しぶりにビールを飲んだらとても美味しくて痺れてたもんざです。でも1杯だけで止めておくべきだったんです。つい、ズルズルと2杯目をオーダー。そこから先は、たいして味わってもいません。
軽い頭痛と倦怠感に自己嫌悪です。。。20代から40代の半ば頃まではお酒を飲むのが当たり前だと思っていたのに不思議なものです。何のために飲んでいるのかを考えたら、ほとんど要らなくなりました。お酒を飲まなくても楽しく過ごせる人たちと友達になったことも大きいですね。どんな自分でいたいのか、誰と一緒にいたいのか。そこを考えていくと自分の常識が変わって、思考と行動が大きく変わりました。とはいえ、うっかりすると欲望に流されて自制心を失うから油断は禁物ですな。

進捗報告

さて、今月みなさんと共有したいのは、こちらです。 「哲学は対話する ──プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉」 (筑摩選書) 西研  (著) 

自分の世界が広がって、いろいろなことを知れば知るほど、分からなくなって自信がなくなってくる。これ、近代以降の人類がずっと直面している問題で、いまだに模索中だったりします。

世界像の多様性に直面することは、「私がそうだと思い込んできた世界や生き方は、ひょっとすると正しくないのかもしれない」という疑念や不安をもたらす。だからこそデカルトのように、「自分の考えが正しいことを確証するためには、どうすればよいのか」を積極的に問う人も出てくることになる

(第9章 近代科学とともに生まれた難問—共通了解をめぐる問題(二) 第二部 合理的な共通了解をつくりだす フッサール現象学の方法)「哲学は対話する ──プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉」 (筑摩選書) 西研  (著) 

ここから二つの態度が生まれます。

1.認識は違って当たり前。真相だなんてありえない(相対主義)
2.世界の真相をとらえた認識はある(独断論、普遍主義)

哲学の歴史は、この二つの態度が対立して形作られてきました。かつては2が優勢だったけど20世紀は1が圧勝のようだと思いませんか。実際のところ、私自身も1を信じているために、ニヒリスティックになりがち。。。でも、ここで西先生は投げかけた言葉にドキリとさせられたんです。

相対主義は、私たちは何を信じ何を共有して生きていけばよいのか、について答えられないために、一人ひとりの未来やわれわれの未来を形作る力を持ち得ない

(第9章 近代科学とともに生まれた難問—共通了解をめぐる問題(二) 第二部 合理的な共通了解をつくりだす フッサール現象学の方法)「哲学は対話する ──プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉」 (筑摩選書) 西研  (著) 

ああ、確かになぁと。ここでフッサールの現象学、共通了解の重要性に繋がってくるわけ。現象学では1を認めつつ、合理的な共通了解を成立させようとする第三の道を探るんですね。ようやく少しずつ核心に近づいてきました!

今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。

参加者(2名)

  1. もんざ 「哲学は対話する ──プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉」 (筑摩選書) 西研  (著)
  2. にしやまさん「THE HOPE 50歳はどこへ消えた?――半径3メートルの幸福論」(プレジデント社) 河合 薫  (著)  

共有予定の本

哲学は対話する ──プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉 (筑摩選書)
哲学は、「根源的真理」を問うものではない。その最大の目的は、一人ひとりの生き方と社会のあり方をよりよくすることであり、その方法は、プラトンが描くソクラテスにはじまり、フッサールの現象学にて真価を発揮した「対話」である。そうしてお互いが納得し...

哲学は、「根源的真理」を問うものではない。その最大の目的は、一人ひとりの生き方と社会のあり方をよりよくすることであり、その方法は、プラトンが描くソクラテスにはじまり、フッサールの現象学にて真価を発揮した「対話」である。そうしてお互いが納得しうる「共通了解」をつくりだす哲学の営みは、分断が極まった現代において、人びとをつなぐ大きな可能性を秘めている。渾身の力を込めて、いま哲学の課題、目的、方法を問いなおす。

<内容:アマゾン商品説明より>   「哲学は対話する ──プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉」 (筑摩選書) 西研  (著)
Amazon.co.jp

50歳は、まだ人生の途上なのだ──。サラリーマンは必ず終わる。肩書は無意味になる。
だからこそ、どう生きるか。「45歳定年制なんて聞いてない」「役職定年こんなはずじゃなかった」「定年延長やめときゃよかった」必死に走り続け、気がつけば「働かないおじさん」扱い。五十にして天命を知るどころか、迷い、戸惑い、恐れている……。「サラリーマン“無理ゲー”社会」をこれからどう生きる。気鋭の健康社会学者にして、Web連載コラムがビジネスマンに大人気の著者が、最新研究の知見、直接インタビューをした約900人のビジネスマン、みずからの実体験を通して語る、まったく新しい“幸福を手にする”ための生存戦略。

<内容:アマゾン商品説明より> 「THE HOPE 50歳はどこへ消えた?――半径3メートルの幸福論」(プレジデント社) 河合 薫  (著)   
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