「ちゃんと、どれがいいか、忘れずに聞かれや」と私が念押ししたら、母は「はい」と言ってニッコリ笑ったのだが、その素直な受け答えと笑顔が、あんまりにも可愛らしくて、思わず「あれ、あんたかわいいぜ・・・」と驚いたように言ってしまい、母も「なにけよ、それ」って歯を見せてまた笑う。
毎晩30分ほどLINE電話で両親と話すようになって、3ヶ月が経つが、私の富山弁がどんどん滑らかに出てくるようになった。毎日25分の英会話レッスンでは、こんなわけにはいかない。生まれてから30年間の言語の蓄積は消えないんだなぁ、と不思議な気持ちになる。そして私が両親と毎日を一緒に過ごした時間は18年。大学入学を機会に家を出てから、一年に数回しか会わず、会っても大した話しもしない期間が何十年もあって、その期間は父母と一緒に過ごした時間を大きく上回ったのに、それでも、何かしら過去の記憶を引っ張り出しては、会話を繋げていける今の自分が奇妙だとも思う。
父も脳梗塞の後遺症からか、子どものように素直な時がある。「痛みが治まってきたら、できるだけ歩くようにせんならんよ。運動せんと筋肉が衰えてしまうから。ちょっとずつ頑張ってやろうよ」そういう私に、ちょっと俯きながら真面目な声で「はい」と素直に返事をする父を見ると、胸がつまる。
言葉がすぐに見つからず、もの問いたげに、じっと母のほうを見つめている父に、母は「なんでこっち見とるがけよ、あんたしゃべられよ」と言われて「だって話すことないもん」と答える父。元気だったころは、あり得なかった会話が今では当たり前の日常だ。
私が父とLINE電話で話している時に、たまたま妹がやってくると、いつも無言で父の頭をそっと撫でていく。ときどき母も、同じように無言で父の頭を撫でにくる。ふたりに「なんで撫でとるがけ?」と聞いても答えてくれないけど、きっと父の言動の素直さと、父の存在への名残惜しさがそうさせるんじゃないかと思う。赤ちゃんを見たら、つい頭をなでてあげたくなるような衝動に近いかもしれない。
最初は、父の言語リハビリになれば、と思って電話し始めたのだけれども、気が付けば、両親との会話から、健康のありがたみ、後悔しない生き方、老いをどのように受け入れるか、死を迎える準備など、さまざまなことを言外に学ばせてもらっている。自分に残された時間を、どのくらい、どのように使うのか、こんなことでもなければ、考えることもなかっただろう。
とはいえ、私がこんな悠長なことを言っていられるのも、父母を近くで支えてくれる妹がいるからこそで、そこは本当に感謝しかない。いつまでも、この小康状態が続くわけじゃないことも分かっている。でも、こうやって毎日会話したことを私は、死ぬまで忘れないだろうし、ここがまた私のひとつのターニングポイントなんだろう。