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ビュリダンのロバと自由意志の問題

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現在、ダンテの「神曲 天国篇」を読んでいます。天国篇の第四歌は、最初の1行めから「?」でして、脚注を読んでも「?」なので、もう少し詳しく調べてみました。でも、知識がなさすぎて、百科事典でひとつ項目を調べたら、その中の語句をまた事典で調べてみるという無限ループみたいなことになっちゃいました。

ロバが乾草でジレンマ?

天国篇の本文を読んで分からなかったのは、ここです。自由意志の人は何で飢えて死んじゃうのか?

等しく食欲をそそる食物を二つ、等しい距離に離しておくと、その一つに歯をかける前に自由意志の人は飢えて死んでしまうだろう。

「神曲 天国篇」(河出文庫)ダンテ・アリギエーリ著 第四歌1~3

訳註に丁寧な解説があり、これは「ビュリダンのロバ」の例えをダンテが語ってるんだよ、ってことでした。翻訳者の平川さんは、きっと中世の大学生が、こういう謎々を面白がって論じてたんじゃないのかな、と推測されてます。

これはヨーロッパでは後世「ビュリダンの驢馬」として伝えられるディレンマの問題で、同じようにうまそうな乾草の二つの山から等距離の点に位置する驢馬は、一つの乾草の山を優先して選ぶ理由がない故に餓死するとした。

「神曲 天国篇」(河出文庫)ダンテ・アリギエーリ著 第四歌 1~3 訳註

でも、世界大百科事典によると、ビュリダンはそんなこと書き残してないみたいなんですよね。何世紀にもわたって語り継がれるフェイクニュース!でも、どうして、これを面白がれるのか、現代人の私たちにはピンとこないですよね。

彼の科学的達成としてまず第1に挙げられるのは,アリストテレスの投射運動論をまっこうから批判して,動者から動体に直接こめられるインペトゥスimpetus(勢い)という力学的概念を新たに導入したことである。そしてこの概念を巧みに適用することによって,投射運動のみならず,落体の加速運動,物体の回転運動などのさまざまな運動現象を統一的見地から説明することができた。今日この理論は一般にインペトゥス理論として知られている。そのほか,地球の日周運動の可能性について中世ヨーロッパで初めて本格的に検討したことや,造山作用のメカニズムについて独創的な見解を展開したことなども見逃せない。これらの思索は中世後期からルネサンス時代までさまざまな影響を及ぼしたが,なかでもインペトゥス理論はひろく受けいれられ,近代的な力学思想形成の原動力として大きな役割を果たすことになった。なお,〈ビュリダンの驢馬(ろば)〉--同質同量の2束の乾草の真ん中に置かれた驢馬は,双方からの刺激が等しいため一方を選べず餓死する--の話はよく知られているが,彼の著作にはない。

“ビュリダン”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-05-25)

自由意志

ダンテは「自由意志」を否定的なニュアンスで語ってますよね。なんでなのかな、と思って世界大百科事典を調べたら、中世カトリック教会の影響のせいだと分かりました。

一般に,外的な強制・支配・拘束を受けず,自発的に行為を選択することのできる意志のあり方をいい,〈意志の自由freedom of will〉ともいう。プラトンは《国家》第10巻の〈エルの神話〉のなかで,人間には死後の運命に対する選択の余地があり,その内容は道徳的行為によってきまると述べたが,他方人間は神の〈遊び道具〉であるともいっている。信仰に関して人間に自由意志をみとめた最初の人はエメサのネメシオスNemesios(359ころ没)であるとされる。アウグスティヌスは《自由意志論》(395)で罪と自由意志との関係を論じ,それによってマニ教の善悪二元論を克服した。この場合,自由意志はたんなる選択の働きではなく,意志の全体と統一が成ることであり,回心なしにはこのことは起こらないとされる。ここにギリシア的な主知主義に代わるキリスト教的な主意主義が成立した。アンセルムスはこれを厳密に論じ,自由意志とは〈自由な選択〉ではなくて〈自由を選ぶこと〉であり,自由それ自体は人間の選択意志によって左右されない本質をもつとした。このように自由を選択意志に先行させることは意志の働きを弱めるものではない。それはむしろ,自由を選択意志にのみ与えたために自由の実質が低下することを避けるのであり,意志に対しては自由と同時に服従をも帰せしめることにより,自由は服従によっても失われないとするのである。
 この考えはとくに,ゲルマン人の自由意識を尊重しつつ教会と国家の両立をはかった中世カトリック教会の所産であったとみなされる。

“自由意志”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-05-25)

主知(しゅち)と主意(しゅい)

中世イタリアでは、ギリシア的な主知(しゅち)主義から、キリスト教的な主意(しゅい)主義に価値観が変化していたことを、神曲天国篇から読み取ることができるんですね。

人間の心は知・情・意からなるなどといわれるが、このうち知の面を、つまり知性とか理性とか悟性とかよばれる知の機能を、ほかの感情や意志の機能よりも上位に据える見方が一般に主知主義とよばれ、感情を上位に置く主情主義(情緒主義)や、意志を上位に置く主意主義に対するものとして用いられる。とくに中世のスコラ哲学では知性と意志の関係が問題になり、知性の優位を説いたトマス・アクィナスが代表的な主知主義者であるが、この傾向はさかのぼってはアリストテレスに代表されるギリシア哲学に、下ってはスピノザやヘーゲルの汎 (はん) 論理主義にみいだすことができる。

“主知主義”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-05-26)

人間の知性よりも、神の意志を尊ぶってこと?だから、人間の自由意志は信頼できるものではなく、不十分で、正しい決断ができないと考えられていたのかな?

一般に知性よりも意志・意欲--必ずしも人間の意志には限られない--を重視する神学,哲学,心理学上の立場。意志を精神活動の中心に据えるアウグスティヌスや,神における意志の優位を説くドゥンス・スコトゥスの教説は神学上の主意主義である。

“主意主義”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-05-25)

このへんの自由意志に関する考え方って、どこまで現代のキリスト教徒に残っているんのか、そのあたりも気になります。

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