8.2. ふりかえり Retrospective8. Trial&Error5. 発見 Insight 6. やってみよう Lifestyle8.1. ふとした気づき

人の苦痛を増やすもの。和らげてくれるもの。

当記事には広告が含まれている場合があります
当記事には広告が含まれている場合があります
8.2. ふりかえり Retrospective
この記事は約5分で読めます。

死の恐怖から逃れるため、人間の想像力が宗教を生みだした、という仮説をどこかで読んだとき、あまりにもその考えがしっくりきすぎて、私の心の中ではまるで事実のように根っこを生やしています。

私自身は浄土真宗が一般的に信仰されている北陸で生まれて、幼少期から祖父母と生活をし、仏壇にお線香をあげて、お経を唱える人が家族にいたから、それが宗教だと考えるよりも以前に、日常生活で行われる普通のことでした。6時半になったらラジオ体操をして、NHKで朝ドラを見る、というような日常のちょっとした習慣です。祖母は、朝は炊き立てのご飯を小さな器に入れて、コップ一杯の新しいお水と一緒に仏壇に供えて、お線香とお経をあげる、という習慣を実践していました。子どもの私には全く意味が分かりませんでしたが、時々祖母の隣に座って真似をしていたことを覚えています。

祖母は彼女の亡くなった父母を偲んで、また自分の家族を慈しむために、祈りを捧げていたことは、当時の私にも理解できました。仏壇で手を合わせるという祖母の行為は、愛した人たちと死によって引き離された苦しみを和らげる手段だったのでしょう。

仏教では死者は仏様になると考えられているわけですが、キリスト教も少し似ています。ダンテの神曲を読むと、生前に良い行いをした人は天国へ行き、悪い行いをした人は地獄に落とされている様子が描かれています。ただ、亡くなって天国にいる人々は神様になっちゃうわけじゃないんです。ただ、平和で美しく清らかな天国で心穏やかに幸福に暮らしているってかんじ。

仏教で信じられているみたいに、自分の子孫を守ってくれたりする役割は背負わされていないようです。それでも、中世イタリアの人々は、神曲を読んだ時に、自分たちも信仰を正しく持てば、ダンテのように天国へ行けると考えて、ホッとしたのかもしれません。ダンテは現世での死を嘆く人は、天国の美しさと素晴らしさを知らないからだろう、と語っています。

ちょうど輪になって踊って行く人々が、喜悦の情が高まるにつれて、思わずそれに押されて声をあげたり、嬉しげな身振りを示したりするように、ベアトリーチェが間も置かず熱心に尋ねると、二重の輪を組んで踊って行く人々は、そのめぐるさまにもすばらしい歌の調べにも、新たな歓楽の情を示した。現世で死に、天上で生きることを嘆く人があるとすれば、永遠の雨のさわやかなさまをここの上でまだ見たことがないからに相違ない。<第十四歌 二七>

神曲 天国篇 (河出文庫) ダンテ・アリギエーリ (著), 平川祐弘 (翻訳)

でも私が思うには、ただ美しいだけのキリスト教徒の天国に行っても、やることがなかったら、飽きちゃうんじゃないかってことです。その点、仏教のほうが、キリスト教的な天国よりも、人間の本性を考えて作られているな、って気がします。たぶんグレーバーの「ブルシットジョブ」を読んだせいかもしれません。「ブルシットジョブ」では、全く意味のないムダな仕事をさせられる現代人の苦しみが、匿名ではあるけれども生々しい証言として紹介されています。そして囚人が罰として仕事を奪われ、何もしないという罰を与えられる、という事例を出して、何もすることがないという苦痛がどれほどの痛みを伴うのかを説明しています。

その点では、仏教徒は死後も自分の子孫を守るという役割を与えられている、と考えることもできますからね。いずれにせよ、あるかどうかも分からない死後の世界を夢想したり、あれこれと思考することは、人間を苦しめもするけれど、一方では痛みを和らげてくれる効果もあるんでしょう。宗教は大衆のアヘンだ、といったのはマルクスでしたっけ?

The redeeming aspect of prison work is, as Dostoyevsky noted, that at least it was seen to be useful– even if it is not useful to the prisoner himself. 囚人の仕事の救いは、ドストエフスキーが指摘したように、たとえそれが囚人自身にとって役に立たなくても、少なくとも役に立っていると見なされることだ。
Actually, one of the few positive side effects of a prison system is that, simply by providing us with information of what happens, and how humans behave under extreme situations of deprivation, we can learn basic truths about what it means to be human. 実際、刑務所制度の数少ないプラスの効果の1つは、極限の状況下で何が起こり、人間がどのように行動するかという情報を提供することで、人間とは何かという基本的な真実を学ぶことができることだ。To take another example: we now know that placing prisoners in solitary confinement for more than six months at a stretch inevitably results in physically observable forms of brain damage. 例えば、囚人を半年以上独房に入れると、物理的に観察可能な形で脳に損傷を与えることがわかっている。Human beings are not just social animals; they are so intrinsically social that if they are cut off from relations with other humans, they begin to decay physically.人間は単なる社会的動物ではなく、本質的に社会性を持っているので、他の人間との関わりを絶たれると、肉体的に衰えていくのだ。(邦訳はDeepL翻訳を使用)

Bullshit Jobs: A Theory (English Edition) 英語版 David Graeber (著)

宗教上の不幸は、一つには実際の不幸のあらわれであり、一つには実際の不幸にたいする抗議である。宗教は、なやんでいる者のため息であり、また心のない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。それは、民衆のアヘンである

ユダヤ人問題に寄せて/ヘーゲル法哲学批判序説 (光文社古典新訳文庫) 文庫 – 2014/9/11
カール マルクス (著), Karl Marx (原著), 中山 元 (翻訳)

なぜマルクスは宗教を「民衆のアヘン」と批判したか 21世紀の今も色褪せぬ思想の本質 2016/11/30

タイトルとURLをコピーしました