読書感想8.1. ふとした気づき8. Trial&Error

なぜベアトリーチェはダンテに悔い改めを迫るの?(神曲 煉獄編)

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読書感想
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14世紀イタリアで大人気となり、現代でも読み継がれるダンテ・アリギエーリの「神曲」を読んでいます。地獄篇を読み終わり、いまは煉獄編を読んでいます。今回は、第三十歌から第三十一歌で描かれているダンテの懺悔シーンについて、考えてみました。

倒れるまで叱られるダンテ

地獄を抜けて、煉獄にたどり着き、ようやく天国にさしかかるところで、主人公ダンテは、最愛の人ベアトリーチェに出会います。しっかり懺悔しないと天国に入れてもらえない設定になっているらしく、ダンテはぶっ倒れるまで怒られます。

いま懺悔したことは、仮に仮に隠そうが否認しようが、罪は消えも隠れもしません。裁きの神は万事を御照覧です。しかし罪の懺悔が頬から涙となってあふれる時、天の法廷では、丸砥石が刃に向かい逆さに回ります。(中略)耳が痛いなら、その髯をあげてこちらをしっかりと見、もっと後悔をなさい

神曲 煉獄篇 (河出文庫) ダンテ・アリギエーリ (著), 平川祐弘 (翻訳) 第三十一歌

そして「顔」ではなく「髯」といった時の夫人の言葉に含まれた毒が身にしみ通った。(中略)悔悛の刺草がその時はげしく私を刺した。私の目を夫人の愛からそらしたものがその時それだけ憎むべきものに思われた。己の罪を悟ると心痛のあまり私は倒れた。

神曲 煉獄篇 (河出文庫) ダンテ・アリギエーリ (著), 平川祐弘 (翻訳) 第三十一歌

痴話げんかっぽい

ベアトリーチェに過去の行状を厳しく問い詰められて、母親に叱られる子どものように涙ぐみ、言葉につまり、ついには卒倒しちゃったダンテ。

そこで、ようやく地獄から天国までを流れるレテ川の水にひたされて、清められ、天国へ行ける準備が整ったことになるのでした。

このベアトリーチェは、生前にダンテの恋人や妻だった人ではなく、単にダンテが9歳から片思いしていた初恋の人です。

ベアトリーチェ:イタリア中世末期の大詩人ダンテが『新生』『神曲』などに詩的に描いた女性。清新体派の代表的詩文集『新生』のなかでは、ダンテとベアトリーチェがそれぞれ9歳のときに初めて出会い、さらに9年後にまた巡り会ってダンテは詩的霊感を受けるが、まもなく彼女は亡くなってしまう。『神曲』のなかでは、「地獄編」から「煉獄 (れんごく) 編」にかけて、ラテンの大詩人ウェルギリウスの霊魂に導かれてダンテは彼岸 (ひがん) の世界の旅をするが、煉獄山上の楽園から「天国編」にかけては、ベアトリーチェの霊魂に導かれて神の真理をかいまみる。このことから、ベアトリーチェを「愛」の寓意 (ぐうい) と解釈するのが一般であるが、彼女を実在の理想の女性とする説もある。フィレンツェ共和国の名門フォルコ・ディ・リコーベロ・ディ・ポルティナーリの娘ビーチェがそれであり、彼女は銀行家シモーネ・ディ・バルディに嫁して、1296年6月8日に31歳で没した。

“ベアトリーチェ”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, (参照 2021-02-16)

そのため、問い詰められる内容も、私が死んだあと、ほかの女に目移りしたでしょ?みたいなことなんですよ。だから、キリスト教徒でもない現代人の私の感覚からすると、そんな理由で責めるのも的外れだし卒倒するダンテも、どうかしてると思ってしまいました。

でも、この痴話げんかみたいな場面に親近感を覚えた読者も多かったのかもしれません。訳者の平川さんは解説で、ダンテの正確な描写についてのマコーレーの指摘を引用しています。(「神曲」に登場する死者というのは単に奇妙な情況の下にいる生き身の人間にしかすぎない)

キリスト教の悔い改め

調べてみたところ、キリスト教の「悔い改め」は、通常私たちが考える「懺悔」とは意味が異なります。キリスト教でも、カトリックとプロテスタントでは考え方が異なっているようです。([1]^ニッポニカ参照)

ダンテの時代だとカトリックの思想ですよね。だから神の使いであるベアトリーチェが、神の代わりにダンテに懺悔を促し、それを赦す役割を担っていたのでしょう。

聖書の原典であるヘブライ語とギリシア語から意味を考えた場合、repentanceは、自分の罪を悔いるというネガティブな意味ではなく、喜びと期待をもって、神の方へ「向きを変える」という意味だ、という説もあるようです。

 以下のサイトにも同様のことが書かれていました。向きを変える、方向転換をするためのきっかけ、という感じで考えておくのが良さそうですね。

クリスチャンになるには、まず人生の方向転換が必要です。それを聖書は悔い改めと言っています。「悔いる」は後悔という2字熟語で使われますが、聖書が教える「悔い改め」は過去を後悔するとは違います。「悔い改める」とは過去の歩みを振り返り、悪から善へ方向転換をして、自分の道から神であるイエス・キリストの道に180度方向転換することです。

聖書入門ーキリスト教の真髄をわかりやすく学ぶ 悔い改めの意味

救いって何だろう

私はキリスト教徒ではないので、教会で神や牧師に懺悔するという体験をしたことはありません。仏壇に手を合わせて、意味も分からず南無阿弥陀仏を唱えたりはしてたのですが、先祖供養と感謝の祈りが混ざったものでした。

よっぽど悪いことをしたら地獄に行くかもしれないけど、普通の人は、ほとんど成仏して天国にいって神様になるもんだ、くらいの感覚が私のなかにはあります。私の考える神様というのは、八百万の神様で、唯一絶対神ではありません。原始的なアニミズムです。

人間に限らず、ほとんどの動物は、ほかの生物の命を犠牲にして生きています。自然社会のヒエラルキー構造では、それは当然のことで、自然の摂理でしょう。植物や動物、自然環境を含めた全てが繋がってグルグル循環する世界の一部として人間が存在していると私は捉えています。

だから、山や海などの自然と、ほかの生き物や植物の命を分けてもらって、自分が生きていることに感謝することで、この世界で生きることを赦されている気持ちでいます。

現代では、人間がこの循環を破壊しつつあるわけですが、その罪というのは、既存の宗教によって許されるものではないし、解決もされない問題でしょう。人間が作り出した宗教の神様に祈って、人間だけが救われたとしても、地球の明るい未来はない気がします。

そんな考えを私は持っているので、ハラリさんの考えには、わりと共感しています。

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参考

懺悔:元来は仏教用語で、「さんげ」と発音する。懺はサンスクリット語のkamaの音写、悔がその意味を表す漢語である。自分の犯した罪過を悔い、神仏や他人に赦 (ゆる) しを乞 (こ) う行為が懺悔であるが、仏教に限らず他の宗教にも類似の行為があり、日常用語としても広く使用され、「ざんげ」と通称されている。(中略)

キリスト教における懺悔
告解は、人ではなく、神に向かってなされる行為であること、また感情の誇張を極力退けるところから、告解と懺悔とは別であるというのがカトリック側の主張である。「聖霊を受けよ。あなたがたが許す罪は、だれの罪でも許され、あなたがたが許さずにおく罪は、そのまま残るであろう」(「ヨハネ伝福音書 (ふくいんしょ) 」20章22~23)というキリストのことばに基づき、使徒とその後継者である司教・司祭に罪を赦す権能が与えられたとしている。聖堂の一角には告解場の小部屋が設けられる。他方、プロテスタントは、罪は告白や償いで赦されるものではないとして、告解の秘蹟を否定し、個人の内面的な悔改めを勧めたが、心の平安を求める信者については、牧師への告白を信仰への一助として認めている。

[1]^”懺悔”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, (参照 2021-02-16)

キリスト教で、自らの罪を懺悔(ざんげ)して神にゆるしを願うこと。

“くい‐あらため【悔(い)改め】”, デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-02-16)

repentance: 悔い,後悔,悔恨,悔悟,遺憾;悔い改め,改悛(かいしゅん)(の情)

“re・pent・ance”, 小学館 ランダムハウス英和大辞典,, JapanKnowledge, (参照 2021-02-16)

つう‐かい【痛悔】《contrition》カトリックの用語。神に対する愛または恐れから起こる悔い改め。「ゆるしの秘跡」の本質的部分。コンチリサン。

“つう‐かい【痛悔】”, デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-02-16)

ゆるしの秘跡:カトリック教会のサクラメントの一。洗礼後に犯した罪について、悔い改め、司祭に告白することによって神と教会から与えられる罪の赦(ゆる)し。

“ゆるし‐の‐ひせき【ゆるしの秘跡】”, デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-02-16)

サクラメント:キリストによって定められた神の恩恵にあずかる儀式。カトリック教会では秘跡といい、洗礼・堅信・聖体・ゆるし・病者の塗油・叙階・婚姻の七つ。プロテスタント諸教派では聖礼典(礼典)と称し、洗礼と聖餐(せいさん)式とをいう。

“サクラメント【sacrament】”, デジタル大辞泉,, JapanKnowledge, (参照 2021-02-16)

(1)以前に悪かった点を反省して、改めること。後悔。(2)キリスト教で、神の恵みにより、罪の許しを得るために、自分の罪を認め、それを詫びて心を神に向きかえること。悔悛(かいしゅん)。

くい‐あらため【悔改】”, 日本国語大辞典, JapanKnowledge, (参照 2021-02-16)
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