今回は、ハイエクの「貨幣発行自由化論」の第2章「基礎的な原理の説明」から、気になったところのメモと学習ノートを残しておきます。
「貨幣発行自由化論 改訂版――競争通貨の理論と実行に関する分析 」
フリードリヒ・ハイエク(Friedrich Hayek) (著), 村井 章子 (翻訳)
(10月の読書会までに、読み終えて感想を共有する予定で準備をしています)
議論の対象ですらなかった
この章の冒頭で、ハイエクは、たぶん皆は、政府が独占的にお金を作ることを当たり前だと思っているけど、もうちょっと頭を柔らかくしよう、と呼びかけています。
とにかく可能性を議論してみませんかと。だってもし、それが全く不要で意味がないものだったとしたら?もし有害だったとしたら?
これまで、民間業者が様々な貨幣を発行して自由競争が生まれるという可能性すら、学者は議論をしてきませんでした。
たぶん国家という権威に対して、学者も盲目的に服従する姿勢でいたのだと思います。
でも、それだと、社会をより良くする方向に多面的な検討と議論をすることができません。
通貨の競争というアイデアがごく最近までまじめに議論されたことがないというのは、驚くべき事実である。貨幣発行の政府独占は、なぜ必須だと広く一般に考えられているのだろうか。この信念は、一国の領土内では一種類の貨幣しか流通してはならないとする未検証の前提に由来するのだろうか。
第2章「基礎的な原理の説明」「貨幣発行自由化論 改訂版――競争通貨の理論と実行に関する分析 」
フリードリヒ・ハイエク(Friedrich Hayek) (著), 村井 章子 (翻訳)
たぶん、私たちが圧倒的な自発性を持って国家という権威に服従しているから、国家の独占貨幣発行という行動についても、盲目的に信頼しており、吟味することが難しいのではないでしょうか。
権威:社会関係においては、制度、地位、人物などが優越的な価値を有するものと認められ、それらの遂行する社会的機能が社会によって承認される場合、それらの制度、地位、人物は権威を有している、という。この権威現象がもっとも顕著な支配・服従関係に限定すれば、強制力をもつ権力が社会的承認によって妥当性をもつに至った場合、権威が成立する。権力者が権力をもち、その権力を行使することが正しいと服従する者から認められる場合、服従者にとっては、その権力に服従することが正しいことであり、内容の吟味は二義的なものになってしまう。そして、強制によるのではなく、自発性をもって権力に服従することになる。このように、権力関係の正当性の信念が服従者に植え付けられたとき、権力は権威とよばれる。
“権威”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-09-29)
当初は独占でもOKだった
貨幣経済の初期には、品質がおなじ、単一の貨幣を権威ある国家が保証することで、市場経済の発展を促進したことは間違いありません。
しかし、現在では、便利さよりも、政府が貨幣発行権を独占していることの弊害が大きいのです。
私たちは周期的なインフレに苦しめられているわけですが、その原因は、国家が貨幣発行権を独占していることだ、とハイエクは指摘します。
メリット:一種類の貨幣だからシンプルで簡単 デメリット:周期的なインフレが発生
国民にはそのほかの代替手段がないため、その単一貨幣を使わざるを得ないし、だから国家は安穏と権力のうえにあぐらをかいて、根本的な問題解決をする必要性も感じず、ずっと独占を続けることができるのです。
そもそもいま挙げた利便性など、信頼できる貨幣、すなわち円滑な経済活動をたびたび乱すことのない貨幣を使えることに比べたら、取るに足らない。ところが政府の独占によって、人々はこの可能性から遮断されてきた。信頼できる貨幣を使うことのメリットを知る機会さえ与えられなかったのである。
第2章「基礎的な原理の説明」「貨幣発行自由化論 改訂版――競争通貨の理論と実行に関する分析 」
フリードリヒ・ハイエク(Friedrich Hayek) (著), 村井 章子 (翻訳)
国家が、その独占権を濫用しない限りにおいては、優れたシステムなのですが、あらゆる独占に見られるのと同じ欠点が貨幣の独占にもあるのですね。
私たち国民は、どのような国家を望むのか。高福祉、高負担の大きな国家か、それとも、税負担は少ないが、自由競争が激しく格差が広がる小さな国家か。自国の通貨のありかたについて議論する場合には、このあたりも含めて考える必要がありそうです。