第114回ZOOMで読書会で、私はクンデラの「存在の耐えられない軽さ」を紹介する予定です。今回は第六部「グランドマーチ」から気になったところを共有します。
第六部「グランドマーチ」
第六部では二人の男性(トマスとフランツ)の死が描かれます。特にフランツの死は悲劇的なのですが、まるで著者が彼の生き方を憎んでいるかのようでした。対して、トマスはもう少し丁寧に扱われているかんじ。
ここでは「キッチュ」という言葉がキーワードとして多用されていたのですが、私はこの意味を理解できなくて、ずっとモヤモヤした気分でいました。でも、スパークノートの解説を読んで、ようやく「ああ、そういうことだったのね」とスッキリ。ここで使用される「キッチュ」の定義は「世界が完璧であると偽るウソ」という意味です。
軽さを信条とするトマス、サビーナは、「キッチュ」を嫌います。彼らはエロティシズム、創造性、遊び心とともに、闇や不快感も存在するリアルな社会を望みます。対してフランツは、偽善的であるのに、自らがその偽善に気づいていないというタイプ。サビーナやトマスが厭う「キッチュ」そのものです。
実はこの物語の主要な登場人物で、生き残るのはサビーナひとり。彼女は常に存在の軽さ(自由)を求めつつ、その生き方に葛藤もしますが、最後までブレません。一方で、トマスは妻テレザのために、自分の軽さを手放します。著者クンデラは、サビーナの生き方に最も共感しているのかもしれません。
今日も読んでくださってありがとうございます。
次回は第七部「カレーニンの笑顔」について、気になったところを共有しますね。
もくじ
第一部 軽さと重さ
第二部 心と体
第三部 誤解された言葉
第四部 心と体
第五部 軽さと重さ
第六部 グランドマーチ←いまここ
第七部 カレーニンの笑顔
読書会の参加予定(4名)
- もんざ (主催者) 「存在の耐えられない軽さ」ミラン・クンデラ (著) (集英社文庫) ”The Unbearable Lightness of Being” Milan Kundera (著)
- じょあんなさん「国盗り物語」司馬遼太郎(著) 新潮文庫
- にしやまさん『私とは何か—「個人」から「分人」へ』平野啓一郎(著)講談社
- 兼松さん「流浪の月」凪良 ゆう (著) 東京創元社
共有予定の本
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