第112回ZOOMで読書会で共有予定の本を読み進めています。
今回は第一篇第三章から第四章までについての気になった点と学習記録のメモです。
■社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫) ルソー (著), 中山 元 (翻訳)
力は権力を作らない
ルソーってとんちの一休さんみたい。
権力者には服従せよと言われるが、それは力には屈せよということになる。これは掟としては善いものかもしれないが、もともと余分なものなのだ。この掟に違反する者など、決していないことは保証する。すべての権力が神に由来するものだという理論は、正しいものだと認めよう。しかしすべての病もまた神に由来するものなのだ。神に由来する病にかかったとき、医者を呼んではならぬということになるだろうか。(中略)だから力は権力を作りださないこと、わたしたちには、正当な権力以外のものには服従する義務はないことを認めよう。
第一篇第三章 最強者の権利について 暴力が権利を作るか 「社会契約論/ジュネーヴ草稿」 (光文社古典新訳文庫) ルソー (著), 中山 元 (翻訳)
このほかの仮説として、強盗に拳銃で脅されたとき、良心的に財布を渡すべきか、いや、それは違うだろう、というのです。第四章はもっと皮肉たっぷりで面白くて、思わずワハハって声を出して笑っちゃいました。これは王権神授説の時代には、確かに危険思想です。
例え方が秀逸
専制君主を人食い巨人に例えちゃったら、そりゃ発禁処分にされちゃうでしょう。
いかなる人も、他の人々にたいして生まれつきの権威をもつことはなく、力はいかなる権利をも作りだすものではない。だから人々のうちに正当な権威が成立しうるとすれば、それは合意によるものだけである。(中略)専制君主は臣民に、社会の平穏を保証すると主張する人もいるかもしれない。(中略)社会の平穏が、臣民の悲惨そのものだとしたら、臣民にどんな利益があるというのだろうか。人は牢獄のうちでは平穏にくらすものだ。キュクロープスの洞窟に閉じ込められたギリシア人たちは、食い殺される順番を待ちながら、平穏に暮らしていたではないか
第一篇第四章 奴隷制度について 奴隷になる利益 「社会契約論/ジュネーヴ草稿」 (光文社古典新訳文庫) ルソー (著), 中山 元 (翻訳)
第四章は、戦争に勝利したものは敗者を殺したり、奴隷にする権利を持つのか、という事例をあげて、力と権力の違いや、征服された側には、どんな義務も生じない、といったことが書かれています。虐げられていた人々は、これを読んでどれほど力づけられたか、200年以上経っても読み継がれる古典の力を感じました。
参考
ギリシアの神話,伝説中の巨人。複数形はキュクロペスKyklōpes。ホメロスの《オデュッセイア》によれば,彼らは単眼の巨人族で,法も耕作も知らず,羊を飼って暮らしていた。彼らの住む島(シチリア島?)に着いたオデュッセウスとその部下がポリュフェモスPolyphēmosという名のキュクロプスの洞穴に迷いこみ,部下がつぎつぎと食われていったとき,オデュッセウスの計略で巨人の眼をつぶして逃れた話は有名。
“キュクロプス”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-11-15)
ギリシア神話のキュクロプスは西洋の一つ目の典型で,火と鍛冶の神ヘファイストス(ローマのウルカヌス)に職人として仕えた。彼らの荒々しい性質は,洞窟に住み人を食うという理性や法に従わぬ怪物として具体化されるが,同時にこれは火を中心とする自然の創造力と破壊力との象徴と考えられる。
“一つ目”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2020-11-15)