第112回ZOOMで読書会で共有予定の本を読み進めています。
今回は第一篇第五章から第六章までについての気になった点と学習記録のメモです。
■社会契約論/ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫) ルソー (著), 中山 元 (翻訳)
どうやって人民になるのか
第五章で、ルソーは専制政治と多数決のしくみについて疑問を投げかけています。(ここに限らず、ずーーーっと、その話ですけどね。。。)
自己の権利を有する人民が、自己を支配する権利を、少しの部分も保留することなく、明らかに、ある一人、または若干の人に移譲するという遣り方で、彼等に服従することが何故許されないであろうか
Hugo Grotius – THE RIGHTS OF WAR AND PEACE グロティウス「戦争と平和の法」第一巻第三章八。一又正雄訳 巌松堂書店
Why should it not therefore be as lawful for a People that are at their own Disposal, to deliver up themselves to any one or more Persons, and transfer the Right of governing them upon him or them, without reserving any Share of that Right to themselves?
グロティウスは、人民は自分を王に与えることができる、っていうけど、それって変じゃない?おかしいよね?とルソーが言うのは、これが奴隷制や、専制国家を容認することにつながるからです。
だから人民が王を選ぶ行為について検討する前に、人民がどのような行為によって人民となるのかを検討してみるべきだろう。この行為こそが、王を選ぶという行為に必ず先立つべきなのであり、これが社会の真の基礎だからだ。
第一篇第五章 つねに最初の合意に遡るべきこと 「社会契約論/ジュネーヴ草稿」 (光文社古典新訳文庫) ルソー (著), 中山 元 (翻訳)
このあとに、多数決っていうのは、少なくとも一回は全員一致の合意があったってところからスタートするんじゃないの?だから少数者が多数決によってえらばれた王に従うっていう義務は、事前に合意されてなきゃ、無効でしょ、というんですよね。
これを読んで、考えさせられました。私は日本国民だけど、それは自分が選んだわけではなく、たまたま両親が日本人で、日本という国に生まれたからです。高校生のころに、政治経済でホッブズ、ロック、ルソーの思想を習ったけど、まったく自分に関わることだと思ってませんでした。
でも、ここ、めちゃくちゃ大事なところですよね。自分が住んでいる国がどうあって欲しいか、そのために自分は何をするのか、何ができるのかを考えるってこと。
社会契約が私たちを自由にする
ところで、社会契約って何でしたっけ?ルソーは、それは私たちを自由にしてくれるものだと言います。
どうすれば共同の力のすべてをもって、それぞれの成員の人格と財産を守り、保護できる結合の形式をみいだすことができるだろうか。この結合において、各人はすべての人々と結びつきながら、しかも自分にしか服従せず、それ以前と同じように自由でありつづけることができなければならない。これが根本的な問題であり、これを解決するのが社会契約である
第一篇第六章 社会契約について 社会契約の課題 「社会契約論/ジュネーヴ草稿」 (光文社古典新訳文庫) ルソー (著), 中山 元 (翻訳)
ルソーの時代に比べれば、先進各国は、この社会契約がめちゃくちゃ進歩して、多くの人々が自由に暮らせる社会になっています。でも、地球レベルで考えた場合には、まだまだ、大衆を服従させることを目的とする制度が生き残っているし、そういう国に生まれちゃって、差別や不自由に苦しむ人たちが一定数を超えちゃうと、デモや激しい抗議運動が起こるんですよね。