今回は、エピローグについて、気になったところと学習ノートを備忘記録として残しておきます。(9月の読書会までに、この本を読み終えて感想を共有する予定で準備をしています)
「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」(新潮選書)森本 あんり (著)
ここは、全体のまとめになっています。時間がない人や、とりあえず、この本の要点をつかみたい人は、エピローグだけを読んでも、著者の主張が十分に理解できるので、まず最初に、ここから読み始めても良いかもしれません。
土着化と単純化
宗教についての知識が、断片的にしかないので(むかし、森達也さんの「神様ってなに?」を読んだり、古典読書会で聖書を読んだことはありますが、人に語れるほどの知識は全くありません)宗教が、その土地によって変化して土着化する、という森本さんの話には、とても驚きました。
そもそも、同じキリスト教なのに、プロテスタントとカトリックで教義が異なるとか、宗教が道徳化するとかも、なんでだろう?って不思議だったのですが、場所と時代で変化していった結果だと知ってようやく腹落ちしました。
アメリカにおけるキリスト教だけでなく、日本における仏教とか、儒教とか、そのほかの国の宗教の変化についても、機会があったら、調べてみたいな。
本書は最初から最後まで、キリスト教がアメリカにおいて土着化ないし文脈化したこと、そしてその結果が宗教と道徳の単純なまでの同一視であること、の二点を強調してきた。(中略)アメリカは、一方では欲望全開で何でもありのフロンティア社会であり、かつ同時に禁欲的で厳格な法律をもったお上品の国である。都会には売春と飲酒と賭博が蔓延する一方で、プロテスタント的・中流階級的な倫理観は他のどの国よりも強い
(エピローグ 「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」森本 あんり (著) )
アメリカは、見事に表の顔と裏の顔がありますよね。その点、日本は、表面的には、均一化されていて貧富の差も見えにくい社会になっています。
過激な平等主義を許すもの
アメリカの二面性の根っこにあるのが、過激な平等意識に基づいた反知性主義であると著者は言います。日本語で文字をみると、知性がないことを反知性だと勘違いしてしまいそうです。でも、本来の意味は、以下の5つを含むものなのです。
- ・知性と権力の固定的な結びつきに対する反感(反権力に由来する)
- ・知性の有無ではなく働き方を問う
- ・権威を不当に拡大使用していないかを敏感にチェックしようとする
- ・特定大学の出身者が固定的に国家などの権力構造を左右する立場にあり続けることへの反感
- ・どんな学問のどんな権威も「ぶっとばす」
要するに、自分がどれほど教養がなく貧しくても、神の下には平等なのだから、権力に屈服せず、どんなに力がある者に向かっても怯まず意見を述べ、知性と権力が癒着することには断固として反対するという姿勢が、本来の反知性主義だったんですね。
アメリカの事例から著者は日本に、反知性主義が存在するのか、という点にも踏み込んでいて面白いのですが、それは次回に共有します。