今回は第2編「実在」第1章~第9章までを読んだなかで、気になったところを共有します。実を言えば、世界哲学の歴史を「世界十五大哲学」(大井正、寺沢恒信著)から学んだので、私個人は、日本の哲学者としては、西田幾多郎(1870-1945)よりも中江兆民(1847-1901)を評価しています。
若松さんの解説は、非常に分かりやすいのですが、あまりにも西田哲学を高く評価しすぎている気もします。
ほぼ同時期に生きた中江が社会改革を求めて激しく活動し、社会に受け入れられず亡くなったのに比べ、当時から知識階級に高く評価され、人気を集めた西田を比較すると、ソクラテスのような哲学者は、やはり中江だよな、と思ってしまいます。
読み進むにつれて、西田哲学は、広く国家や社会、世界人類の幸福を追求するような哲学ではなく、個人の幸福追求のような倫理学的要素が強いことが分かってきました。
「善の研究」 西田 幾多郎 (著)
「NHK 100分 de 名著 西田幾多郎『善の研究』」 講師:若松英輔
前にいったように精神は実在の統一作用であって、大いなる精神は自然と一致するのであるから、我々は小なる自己を以て自己となす時には苦痛多く、自己が大きくなり客観的自然と一致するに従って幸福となるのである
(第2編「実在」第9章「精神」『善の研究』西田 幾多郎 (著))
たとえば多くの場合、私たちは「どう生きるべきか」に頭を悩ませています。しかし、時折、自分は、何ものかに「生かされている」とも感じることがあるのではないでしょうか。これが、西田のいう「実在」の経験なのです。世にいう哲学的な常識ではなく、生活の常識によって読む。それが『善の研究』に臨むときに求められる態度であると思います
(第2回「純粋経験と実在」『NHK 100分 de 名著 西田幾多郎『善の研究』』講師:若松英輔)
意味が異なる用語
分からなくなってくるので、100分de名著/若松英輔監修を参考に、用語を整理してみました。
- 宗教=現代人が考える宗派宗教とは異なる=人間を超えた大いなるもの(真理、実在などの言葉で表現できない人間の思考を超えたもの)を言語表現をかりて説いたもの=哲学とつよく関連する
- 宇宙=森羅万象の異名(外的空間+内的世界)
- 神=内界と外界の双方の根本のはたらき=人間を超えながら、同時に人間の心に内在する=確かに存在するが知り尽くすことはできない
- 実在=純粋経験を通じてのみ経験される=日常の直感的な経験をありのままに感じる
- 純粋経験=知的直観、知的直覚。じかに観ること。
- 知識=頭と身体の両方で知ること
- 情意=かんたんに言語化できない心の働き
- 認知(にんち)=客観的に再現可能に理解すること
- 認識(にんしき)=個々の人間が、それまでの経験を踏み台にして、心身の両面で理解を深めること
- 動揺(どうよう)=一瞬たりとも同じ世界は存在しない倫理=人生学
- 一致する=異なる二つのものが、異なるままで共鳴し共振するイメージ=哲学的経験の始まり
- 私=意識的自己(自我)=表面だけの理解で他者に開かれていない
- わたし=真の自己=人間を超えるものを真摯に求める=謙虚さ
- 目的=善を求める本能的な衝動人類=自然と共生しうる者(自然を支配する者ではない)
- 個人主義=利己主義の対義語としている(利他主義)
今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。
参加者・共有予定の本
1. もんざ 「善の研究」 西田 幾多郎 (著)
2. なってぃさん
3. 木村さん
4. なかねさん
5. にしやまさん「採用学」服部泰弘(著)
6. あさはらさん「門」夏目 漱石 (著)
7. maruさん
8. Yoko3さん