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意味がある③/④ カッコよさと同化願望

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六本木アートカレッジのアーカイブ動画を見たので、感想と覚書を4回に分けてブログに書いておく。①では、全体の感想を書いた。②~④は、印象に残った3つの講義についての感想を書く予定。②は一番印象に残ったものを書いたので、③(いまココ)は二番目に印象に残った、小説家の平野啓一郎さんと山口周さんの対談について書く。

対談テーマ 「カッコいい」を考えることで、個人の美意識が見えてくる
平野啓一郎氏(小説家)
山口周氏(独立研究者/著作家/パブリックスピーカー)

この対談テーマに特別に関心があったわけではないが、「日頃から疑問に感じていたことが少し解消されたこと」「読んでみたい本がいくつか見つかったこと」で二番目に印象に残った講義になった。

現代は、インターネットによって時代の共有性が下がっている。1950年代にラジオ、1960年代にテレビが登場し、40年にわたり、私たち日本人は情報のフローだけを受け取ってきた。みんなが同じ情報を、同じメディアを通じて、同時に共有することで「カッコよさ」を共有できた時代だった。

しかし1995年にインターネット元年を迎え、状況は大きく変化した。みんなが同じ情報を同時に受け取るのではなく、多様化が認められるようになった。人びとはTVではなくYouTubeをみるようになる。それはフロー情報ではなくストック情報だ。例えば音楽。現在のアーティストたちが生き残るためには、過去の偉大なアーティストたちとYouTube上で闘わなければならず、その状況は過酷だ。

同調圧力が発生しないから、かつてのように「カッコよさ」を人工的に生み出すことが難しく、マーケティングにも新しい戦略が求められるらしい。そんなお話を山口さんがしていたら、平野さんが、過去が現在化しているといえば、文学の世界では、ずいぶん前から、そうだよ、と。

例えば、僕はドストエフスキーの影響を受けて「決壊」という作品を書いたけれど、読者は、彼らの時間をどう使うか、ドストエフスキーを読むか、僕の作品を読むかを選べるわけです。普遍性を持った文学作品は過去化しないから。読書は、時間もたくさん必要だし。

佐藤優さんの言葉とか(古典を読め)、スーザン・ソンタグの言葉とか(二度読む価値のない本は読む価値がない)に影響を受けて、とにかく、まずは評価が定まっている古典から読もうとしている私は、この平野さんの言葉を聴いて、思わず、ああ、すみません、となぜか謝っていた。アーティストや小説家は、創作欲求から逃れられないんだろうなぁ。

しかし、この対談を聴いちゃったら、引用されたり紹介された書籍や、平野さんの本が気になって仕方がなくて、とりあえず、kindleでサンプルだけダウンロードした。いま、読みたい本と読むと決めた本が溜まっているから、サンプルを全部ちゃんと読めたら買っていいことに決めた。

電子本は、場所を取らないし、海外にいても、日本の本がすぐに手に入るから、非常に助かっている。その反面、紙の本みたいにリアルな存在がないから、興味のおもむくままにデータをダウンロードしていると、あれ、こんな本、いつダウンロードしたんだっけな、みたいなことが出てくる。時間とお金は有限で、どちらも大切にしなきゃいけないと分かってはいても、自分の能力を過信してしまう。これくらいなら読めるはず、とか。

現代の人びとは、「役に立つ」にはお金を使わなくなってきたが、「カッコいい」には払うのだ。「カッコいい」ものは見たくなる。その世界観を手に入れたくなる。「カッコいい」に近づきたくなるのは、同化願望なのだ。「カッコいい」の基準は鳥肌がたつかどうか。痺れるかどうか。その痺れは快感だから、依存性を持つ。

いつの頃からか、コスプレが流行しているけれど、私には全く理解ができなかった。日本だけでなく、世界中で、ある種の人びとが熱狂的にコスプレをしている。とても不思議だったが、今回の対談で分かった。彼らが憧れる「カッコいい」世界観と同化するための手段なのだ。

では、私はいったい何にお金を使っているのだろうか。私のなかでは、例えば、六本木アートカレッジのような講座で、新しい知識や視点を学ぶことが「カッコいい」と思えることになる。

でも、私は、それを「カッコいい」からだ、というふうには捉えていない。誰かが作った世界観に自分を同化させるためじゃなくて、自分のなかにでき上がっている世界観をひっくり返したり、拡げたりしたいからだ。そしてそれは、私自身が成長するために「役に立つ」と考えているから、投資としてお金を使ってもいいかな、と思える。

それとは別に、私が純粋に「カッコいい」と惚れ惚れするのは、超絶な身体能力を持ったダンサーの踊りを見たとき。確かに鳥肌がたって痺れて、動画を止められなくなる。でも無料のYouTube動画を見ているだけで満足しちゃって、彼らのようになりたいと思ってダンスを習いに行ったり、それこそコスプレしたり、劇場に足を運ぶところまではいかない。

そんなわけで、個人的な感覚と、平野さんと山口さんの講義内容を比較すると、納得できる点とそうでもないな、という点があったが、自分の感覚のたな卸しができたので、強く印象に残ったのだと思う。

「カッコいい」とは何か (講談社現代新書)
本書は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている。 「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に...
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