孤立感って克服するものなのかな、と思うもんざです。
一人で行動していると、ときどき心配されることがあるのです。でも、私はなぜ心配されるのか、正直なところ、分からないんです。
時と場合にもよるし、誰と一緒にいるかによっても、違うだろうし、一概に誰かと一緒に行動することが全ての場合に相応しいってことはない気がするんですけど、まぁ、そんな理屈っぽいことを、よほど気ごころの知れた友人でもない限りは、日本語でも英語でも説明しませんよね(笑)
寂しくないの?とも聞かれたことがあるのですが、自分にその感情が欠けてることに、ようやく自覚的になっています。
ポルトガル語でサウダージsaudade(郷愁)という言葉があるのですが、そういうのも欠けてるみたいだから、集団への帰属意識が低くなるのかもしれません。
外国で暮らしてみると、こういう感情が欠けているからメンタルにマイナスの作用がでにくいのだろうし、それは私の強みかもな、って思ったりします。
さて、課題です。わたしは、こちらを読んでいます。
■「愛するということ」 新訳版 Kindle版 エーリッヒ・フロム (著), 鈴木晶 (翻訳)
「 現代の西洋社会でも、孤立感を克服するもっとも一般的な方法は、集団に同調することである。集団に同調することによって、個人の自我はほとんど消え、集団の一員になりきることが目的となる。(中略)たいていの人は、集団に同調したいという自分の欲求に気づいてすらいない。(中略)彼らは、みんなと意見が一致すると、「自分の」意見の正しさが証明されたと考える 」
( 「愛するということ」 新訳版 Kindle版 エーリッヒ・フロム (著), 鈴木晶 (翻訳) 第二章 愛の理論 1 愛、それは人間の実存の問題にたいする答え )
この引用部分もそうですが、所々で、「ん?これは、日本社会のことかな?」と思うような記述があって、ドキッとさせられています。
実際、自分自身や周囲の人びとの様子を考えても、この指摘は当たっている気がします。
自分の本当の欲求を理解することにさえ、自分自身を客観視できたり、状況を俯瞰する視点が必要だなんて、こうやって言語化されて可視化されないと分からなかったりするんですね。
今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。