一年ぶりの帰国ですが、そんなに久しぶりな感じがしないのは、なぜかな、と思うもんざです。
マニラから羽田に向かう機内で、これを書いています。
たぶん、職場で日本語を使っているし、お米も毎日食べていて、キムチや焼き海苔、味噌汁、豆腐など、食生活でも不便をあまり感じないこともあります。梅干しは、2月に友人が持ってきてくれたものと、スーパーで購入できたものもありますし。
月一回のZOOM読書会も精神的な支えになっています。
本を読んで深く考えること習慣にして、みなさんと定期的に話し合える環境は、めちゃくちゃ贅沢でありがたいことだと感謝しています。
日本で生活していた頃に比べて、いろいろなことをシンプルに考えられるようになったことが、もっとも良い変化だと考えています。
やりたいと思っても、できていないこともありますが、それは今後の課題ですね。
一方、非日常だった世界が日常に変わっていく感覚は、とても面白くて好きなのですが、それだけ刺激が減っていくということでもあるので、そこは残念だなという気持ちがありますね。
さて、課題です。
わたしは、こちらを読んでいます。
■「全3巻 罪と罰 (光文社古典新訳文庫) Kindle版」ドストエフスキー (著), 亀山 郁夫 (翻訳)
(第1巻はkindleアンリミテッドの対象ですよ)
「罪と罰」を読み終わりました。
最後まで、一瞬たりとも読者を飽きさせない作品でした。
読み終わっても、いろいろな謎は残ります。それでも、陰惨なだけでなく、最後に救いが残されているように思うので読後感は爽やかです。
「ドストエフスキーは、登場人物のすべてに細心の目くばりをきかせ、「人間として」のひとりひとりの価値を、どこまでも守りぬこうとしていた。その意味で、彼はおそろしく律儀で「人道的な」作家だった」(「罪と罰」3巻訳者あとがき「叩き破られたい書」 亀山郁夫)
登場人物のモデルと思われる人物が特定できるくらい、リアルに性格を模写しているらしいので、同時代の人たちは、現代の私たちよりもさらに物語に夢中になったのではないかと思います。
そして、「罪と罰」を読み終えて、ようやくなぜ私が映画「JOKER」に違和感を感じるか、言葉にできるようになりました。
「JOKER」では女性の存在感とリアリズムが全く感じられなかったのに対して、「罪と罰」では、醜いところも美しいところも、子どもから老人まで、圧倒的な描写で読者の眼の前に現れます。
これ、本当に不思議なのですが、映像よりも文字のほうがリアルって、どういうことでしょうね。
今日も読んでくださって、ありがとうございます。
明日もよろしくお願いします。