9. 読書会(勉強会)カウントダウンコラム1. Zoom読書会

群居本能に基づく純粋に生物学的な感情

当記事には広告が含まれている場合があります
当記事には広告が含まれている場合があります
9. 読書会(勉強会)
この記事は約8分で読めます。

Google oneを使おうかな、どうしようかな、と悩んでいるもんざです。GoogleからGmailの使用容量が70%に達しています、というメールが届きました。無料で使える全15GBのうち、10.53GBを使ってしまっています。容量をくっている画像や動画を整理すれば良いだけなのかもしれないけど、なかなか整理が難しい。Google Oneのベーシックプランなら100GBで月額250円。年間なら2,500円と2ヶ月分も割引になるし、契約しちゃっても良いのですが、でもなぁ。

でっかいゴミ箱を買うだけのような気もするので迷ってるんですよね。やはり、この機会に不要なデータを整理する時間を確保すべきかな。

進捗報告

さて、今月みなさんと共有したいのは、こちらです。「俘虜記」(新潮文庫) 大岡 昇平  (著)

この感覚は、体験した人でなければ絶対に分からないものだろうな、と感じた部分を共有します。
昭和20年八月六日、フィリピンの捕虜収容所で著者は広島に原子爆弾が投下されたことを聞かされて落ち着きを失うのですが、なぜ自分がそれほど動揺したのかを冷静に分析しています。

レマルクは砲弾によって頭を飛ばされ、首から血を噴きながら三歩歩いた人間を物珍し気に描き、メイラーもまた首なし死体を克明に写しているが、こういう戦場の光景を凄惨と感じるのは観者の眼の感傷である。戦争の悲惨は人間が不本意ながら死なねばならぬという一事に尽き、その死に方は問題ではない。(中略)兵士となって以来、私はすべて自分と同じ原因によって死ぬ人間に同情を失っている。(中略)もともと社会的感情を欠く小市民たる私の精神が、これほど「多数」に動かされるのは、人類の群居本能よりないと思われる。純粋に生物学的な感情だ。(中略)生物学的感情から私は真剣に軍部を憎んだ

「俘虜記」(新潮文庫) 大岡 昇平  (著) (9.八月十日)

著者が所属していた部隊は全181名で、著者と同じレイテ島の収容所に来たのは21名。生存率は11.6%でした。「純粋に生物学的な感情」と著者は分析していますが、本当にそれだけなのでしょうか。なんだか少し釈然としません。

ナチスの強制収容所を経験し生還したフランクルの「夜と霧」を読んだ時も、その観察力と分析力に驚いたのですが、究極の状況でも客観的な視点を失わないって、生まれ持った才能のひとつだったりするんでしょうか。

今日も読んでくださってありがとうございます。
明日もどうぞよろしくお願いします。

Erich Maria Remarque[1898―1970]レマルク(Erich Maria Remarque)
ドイツの作家。ドイツ北西部オスナブリュック生まれ。当初、音楽家を志す。第一次世界大戦に志願兵として出征し負傷。戦後、記帳係、通信員、教師、広告雑誌編集者など雑多な職業を転々。1929年長編小説『西部戦線異状なし』を発表、戦場における人間精神の荒廃を追求し、一躍世界的名声を馳 (は) せる。ナチス政権下、同書は反軍的叙述と弾劾され焚書 (ふんしょ) にあう。38年市民権を奪われ、翌年ニューヨークに移り市民権を得る。この間、注目すべき作品はなく、第二次大戦後『凱旋 (がいせん) 門』(1946)でふたたび文名を取り戻す。ほかに『愛する時と死する時』(1954)、『汝 (なんじ) の隣人を愛せよ』(1941)、『黒いオベリスク』(1956)など。

“レマルク”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-18)

Norman Mailer[1923―2007] アメリカの小説家。第一次世界大戦後アメリカに移住したロシア系ユダヤ人(イギリス国籍)のひとり息子としてニュー・ジャージー州ロングブランチに生まれる。ブルックリンの高校を卒業後、16歳で航空工学を学ぶためハーバード大学に進む。在学中『ストーリー』誌の学生創作コンテストで第1位を獲得、大学も優秀な成績で卒業。第二次世界大戦中の1944年、新婚まもなく徴兵され、歩兵としてルソン島進攻作戦に参加し、戦地から大量の小説草稿を新妻のビアトリスに送った。終戦後はしばらく日本進駐軍の炊事係下士官を務めた。

 1948年に発表した『裸者と死者』は、軍隊機構内部における人間性の抑圧をドス・パソスばりの自然主義手法で描き出し、戦争の愚劣さと、現代アメリカ文明の腐敗を鋭く風刺した力作で、世界的な反響をよんだ。

“メイラー”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-18)

参加者(2名)

  1. もんざ (主催者) 「俘虜記」(新潮文庫) 大岡 昇平  (著)
  2. にしやまさん「大学の常識は、世間の非常識」 (祥伝社新書) 塚崎公義  (著)

参考

俘虜記(ふりょき)大岡昇平の長編小説。1948年《文学界》に発表された短編《俘虜記》(合本《俘虜記》収録時に〈捉まるまで〉と改題)をはじめとして,51年まで各誌に分載。52年創元社より合本《俘虜記》として刊行。作者は,45年1月フィリピンのミンドロ島でアメリカ軍の攻撃を受け,病兵としてひとり山中に取り残され,意識を失って捕虜となり,約1年間収容所生活を送った。この合本《俘虜記》はその体験の記録である。兵士および俘虜としての自己の行動と意識について厳密な考察が加えられると同時に,俘虜たちの生態と人間性とが活写され,収容所の生活が占領下の日本の社会を暗示するように描き出されている。死に直面した作者がしだいに健康を回復していく過程も魅力的である。

“俘虜記”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-14)

大岡昇平おおおかしょうへい1909-88(明治42-昭和63)
作家,評論家。東京生れ。京大フランス文学科卒。成城高校在学中に小林秀雄,中原中也,河上徹太郎らと知り合った。戦前は会社員生活をしながら《文学界》などに批評を書き,またスタンダール研究に力を注ぐ。1944年一兵士として応召出征,45年1月フィリピン戦線でアメリカ軍の捕虜となった。48年この経験を書いた短編《俘虜記(ふりよき)》(合本《俘虜記》では《捉(つか)まるまで》と改題)で文壇に登場,次いで禁欲的な恋愛小説《武蔵野夫人》(1950),敗軍下の戦場での神と人肉食の問題を取りあげた《野火》(1951)を発表,戦後文学を代表する作家の一人となった。

“大岡昇平”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-14)より前半部分のみ抽出

フィリピン,ルソン島の南西に横たわる大きな島。面積9818km2はフィリピン群島中第7位。行政的には二つの州に分かれ,人口56万(1975)。島の中央部を北北西から南南東方向に急峻な脊梁山脈が走り,ハルコン山(2586m),バコ山(2489m)などの高い火山がそびえる。西海岸では雨が多く乾季と雨季の交替がみられるが,東海岸では明瞭な乾季がない。北東部に開ける沿岸平野にはタガログ地方からの,南西部の平野部にはビサヤ地方からの移住者が住みつき,内陸部はマンギャン族などが占拠する。南西岸のサン・ホセ町に1911年フィリピンで最初の分蜜糖工場が建てられた。島名はスペイン語で金鉱を意味するミナ・デ・オロに由来するといわれるが,現在ではそれらしき鉱山は見当たらない。

“ミンドロ[島]”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-14)

旧日本軍の兵営、艦船内に設けられた売店で、「軍隊内務令」の物品販売所がこれにあたる。士官、兵に時間を限定して、酒類、甘味品などの飲食物、手拭 (てぬぐい) 、歯ブラシ、ちり紙などの日用品を安価で販売した。酒や汁粉、うどんなどは酒保内でのみ飲食が許可され、新聞・雑誌の閲覧、囲碁・将棋などの娯楽設備もあった。なお、酒保とは中国語で酒屋の店員の意。アメリカ軍ではPX(post exchangeの略)、自衛隊では売店という。

“酒保”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2022-08-14)

共有予定の本

Amazon.co.jp: 俘虜記(新潮文庫) 電子書籍: 大岡 昇平: Kindleストア
Amazon.co.jp: 俘虜記(新潮文庫) 電子書籍: 大岡 昇平: Kindleストア

一等兵として太平洋戦争に従軍した著者の体験に基づく連作小説。フィリピン・ミンドロ島への米軍上陸から復員までの約一年間を描く。なぜ自分は米兵を殺さなかったかという感情を異常なほどに平静かつ精密に分析した「捉まるまで」と、俘虜収容所を戦後日本の縮図と見た文明批評の続編からなる。孤独という真空状態での人間のエゴティスムを明晰な文体で凝視し、戦争小説とは一線を画する。

<内容:アマゾン商品説明より>   「俘虜記」(新潮文庫) 大岡 昇平  (著)
https://amzn.to/3w3ybg1

変わらない大学への問題提起…。元大学教授の著者は言う。
“一国一城の主”である教授は自由で、天国のような職場だった。
しかし、大学の実態にはさまざまな違和感を拭えず、「大学の常識は、世間の非常識」だと感じ続けていた、と。
どうしたら日本の大学は良くなるのだろうか。
銀行員から大学教授に転身した著者だからこそ提起できた改革案を披露する。
いわく――文系の大学教授を研究者と教育者に分け、大学は企業人養成に専念すべき。
また、企業は3・4年次ではなく1年次に内定を出せばいい――。
巻末には、騒がしい教室が静かになる魔法の言葉など講義の工夫や人気講義を収録。
変わらなかった日本の大学が変わるきっかけとなるか。

<内容:アマゾン商品説明より>  「大学の常識は、世間の非常識」 (祥伝社新書) 塚崎公義  (著)
タイトルとURLをコピーしました