医療と保険の問題は、なぜ人間にとって国家が必要なのか、という問題にもつながるよなぁと思うもんざです。
来年、2020年にアメリカ大統領選挙がありますが、争点のひとつが医療保険らしいです。こんな記事を読みました。
この記事を読むと、アメリカに住んでる低~中所得者は、病気になっても我慢するしかないしくみになっていることが分かります。
富の偏在、人種差別(移民)などが生み出す格差をどのように考えるかは、国家によって方針がまったく異なるんですけど、どの時代のどの国に生を受けるかって、自分じゃ選べないし運でしかないから、ホントに最近しみじみ、自分が日本で暮らせてラッキーだったなって感謝してます。
国内での引っ越しですら、簡単じゃないし、ましてや誰もが自分が住みたい国を選んで移り住めるわけではないのですけれど、なんとなく私のイメージでは、さらにグローバル化が進んで、仮想通貨も広がって、人がもっと国を超えて移動して、結果的に国家の枠組みが変わるような未来がやってくる気がしてるんですけどね。
さて、課題です。わたしは、こちらを読んでいます。
「全3巻 罪と罰 (光文社古典新訳文庫) Kindle版」ドストエフスキー (著), 亀山 郁夫 (翻訳)
(第1巻はkindleアンリミテッドの対象ですよ)
第3巻の45%まで読みました。 貧困、病気、失業、貧富の差などが、この作品では描き出されているのですが、ここまで読んだ感じだと、お医者さんに訪問診療してもらうことは、そんなに難しくなかったような感じです。
「医者や司祭の話になった。役人は、いまさら医者を呼んでも手おくれだろうとラスコーリニコフに耳うちしたが、それでも、呼びにやるように自分で指図した。カペルナウーモフの主人が駆けだしていった。」
「罪と罰」 (光文社古典新訳文庫) Kindle版」ドストエフスキー (著), 亀山 郁夫 (翻訳) 第3巻第5部5章
治療費とか、明らかに払えなさそうな人でも、お医者さんは善意で見てくれたのでしょうか。。。
そういえば、日本でも、むかしは物納(お金の代わりに野菜や米、着物などで払う)もあった、と聞いたことがありますが、そういうことなのかな。
アメリカの選挙関係のニュースを読んだり、罪と罰を読んだりしてたら、ふと「サピエンス全史」と「ホモデウス」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)も思い出しました。ホモサピエンスは、より良い環境を求めて、太古から世界中を移動しつつ、共同体や国家を作ることに成功してから、信じられないほど繁栄・増殖をしていますよね。
安定した共同体を長期に継続して運営していくためには、その共同体に所属しているメンバーの多くをどのように満足させてバランスを取っていくかが肝要で、国の指導者側が上手にそれをコントロールできないと、共同体が壊れちゃう。
そして権力を持つ人ほど、既得権益に縛られ、あちらを立てればこちらが立たず、みたいな状態になってバイアスがかかり、最も重要なものを見失って、自分の利益を優先してしまうってのも、よく聞く話です。
でも貧しく弱い人を放置するほうが、共同体にとっては脅威なんですよね。だって彼らは失うものがないから、教義のために自分の命を失うことや他人の命を奪うことを恐れません。「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフのように。
例えばトランプ大統領のように、共同体から、そういう奴らを排除しろ、あるいは隔離しろ、と恐怖と不安を煽る方策をとるか、あるいはカナダのトルドー首相のように、彼らも私たちの一員だとして、策を講じるのか、そこは共同体の運営方針によります。どちらが中長期的にその共同体に属する多くの人に平和と繁栄をもたらすんでしょうね。
今日も読んでくださってありがとうございます。
また明日もよろしくお願いします。