自分の弱さに悲しくなるもんざです。
食事会で身体的な特徴を理由にからかわれている人がいて、私は不快に感じたのです。からかっている人は、そのやりとりを漫才かお笑いコントのように考え、場を和ませてコミュニケーションを図ろうとしていたのかもしれません。
私は太っているとか痩せているとかで笑いを取ろうという姿勢に差別的なものを感じるし、自分が言われると辛いです。彼らはお互いにその関係性に納得していたのかもしれませんが、どうも心の中がモヤモヤしています。
以前、酒席で隣席の人がやたらとベタベタ触ってくるタイプで閉口していたら、私の様子に気づいた別の方がさり気なく席を替わってくださり、こういう心遣いのできる人って神さまだわ!と激しく感謝したことを思い出しました。
今度、酒席や食事会でからかわれている人がいる場面に遭遇したら、さり気なく席を代わるか、何かしら別の話題に変更できる話術を工夫できる大人になります。
できることがあったはずなのに見て見ぬふりをしてしまった自分が情けない。。。
さて、課題です。私は「The Communist Manifesto」(Friedrich Engels, Karl Marx)を読んでいます。
2018年11月3〜4日に神楽坂で初めて新潮講座を受講しました。佐藤優さんの2日間集中講義でした。当時の彼の新作「ファシズムの正体」(集英社)を含めて4冊の課題図書を読み解きながら、ファシズムとナチズムの違いと、現代社会への影響と私たちが考えるべきことなどを学べる非常に有意義な講義でした。
講義中にノートに記録したメモと佐藤さんの著作を読み返すと「真理は人を自由にする」という言葉に改めて惹かれます。
「不自由や束縛から目を背けるだけでは、苦境は解消されないどころか、ますます追い詰められていくばかりです。」(引用「ファシズムの正体」p21)
もうひとつ、講義に参加したときにノートにメモした言葉で、大きく私の読書スタイルを変えたものがあります。「ヒトラーの読書法はレーニンに似ている。マルクシストの読書法(革命に必要なものだけ取り入れれば良い)だからだ。知識には知識の内在論理がある。読者が勝手気ままに一部を切り出すことは介入だ」
それまでの私の読書法は、飛ばし読みもいいところで、読みやすいところだけ読むというスタイルだったので、まるで自分が責められたかのように胸が苦しかったです。面白そうな本を手当たり次第に読んでいましたが、結局のところ、まったく自分の血肉になっていなかったことを自覚しました。
今回、共産党宣言の原文を読んでみて感じたのは、自分に圧倒的に欠けている歴史的な視点と、いかに分かったつもりになっていたか、という点です。自由になるための真理を手に入れるためには、体系だった知識を手に入れて、アウトプットするという経験を積む必要があるのですが、冒頭で述べたように問題を解決する能力は未だに低いまま。それでも、自分のダメさを俯瞰できるようになった点は成長かな。
読書会まで、あと6日です。
紹介予定の本をGoogleドキュメントに入力するか、投稿にコメントする形でお知らせくださいませ。
■参加者(2名)
1.もんざ
2.yoko3さん
今日も読んでくださってありがとうございます。
また明日もよろしくお願いいたします。
19/07/14(日)読書会まで6日
この記事は約3分で読めます。