先生に時給アップを拒否されたもんざです。
週3回30分の英会話の個人レッスンをお願いしている先生がいます。
賃金は30分2.5ドルで計算し、前月分を翌月1日頃にPayPalでお支払いしています。
記録を確認したら、個人レッスンをお願いしてから1年経っていたので、時給も上げなきゃ、と思って先生に提案したのですが、嬉しいけど上げなくてもいいよ、と言われました。
上げるといっても、0.5ドルあげて30分3ドルにするという微々たるものなのです。
私が日々の英語学習を継続できているのは、彼がペースメーカーになってくれているからで、心底から感謝しています。
だから本当に遠慮しなくてもいいのになぁ、と思うのです。
実はもう一つ、別の理由もあります。もし私がネイティブスピーカーに個人レッスンを頼んだら、1時間3,000~5,000円は必要でしょう。それなのに、フィリピン人の先生に依頼したら、1時間5ドル、今なら約555円、30分だったら278円、コーヒー1杯分のお値段です。
「ネイティブの先生と、そうじゃない先生の授業料が違うのは当たり前だよ。だってスキルが違うでしょう」という人もいるかもしれません。本当にそうでしょうか?私が求める先生像は、私の学習モチベーションを継続させてくれて、英会話の能力も上げてくれる人です。それができる人であれば、ネイティブかどうかは関係ありません。
先生は私が求めるものを提供して下さっているのに、私はそれに見合った報酬を支払っていないのではないか、労働力を不当に搾取しているのではないか、という罪悪感のようなものが、うっすらと心のどこかにいつもある感じなんですよね。
それこそ、こういう話を英語で先生にうまく伝えらるようになるといいなぁと思います。
さて、課題です。
第5章「農耕がもたらした繁栄と悲劇」では、なぜ人類が狩猟採集を中心とし遊牧生活を捨て、農耕定住生活を選んだのかが解説されています。
「家畜飼育者と農耕民は歴史を通して、飼っている動物たちへの愛情を示し、大切に世話をした。それはちょうど、多くの奴隷所有者が奴隷に対して愛情を抱き、気遣いを見せたのと同じだ。王や預言者が自らヒツジ飼いと称し、自分や神が民を気遣う様子を、ヒツジ飼いがヒツジたちを気遣う様子になぞらえたのは、けっして偶然ではない」(引用P.126-127)
「進化上の成功と個々の苦しみとのこの乖離は、私たちが農業革命から引き出しうる教訓のうちで最も重要かもしれない」(引用P127)
初めてこの本を読んだとき、私は、著者が提示している家畜からみた人間への目線に非常に衝撃をうけました。
なぜなら、それまでの私は全くそのような視点を持っていなかったからです。
著者の思想の根底には、人類が他の種族から当然のように搾取をして、自分たちだけの幸福を追求する貪欲な姿勢に対する批判的な目線が潜んでいます。それが、この本の魅力でもあるんですね。
今日も読んでくださってありがとうございます。
また明日もよろしくお願いします。