8.1. ふとした気づき8.2. ふりかえり Retrospective8. Trial&Error

何が怖いのか分かった

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友人から、とても良い機会がいただけて、本当にうれしい。先日、日本社会における男女の労働格差や差別といったテーマで議論をしたことがありました。その時に、私が発言した内容について彼女がFacebookメッセンジャーで建設的な意見をくれたんですね。
彼女は、彼女の意見が私を傷つけていないかと心配りをしてくれたのですが、むしろ私はうれしいくらいでした。
この件について、さらに、もっと彼女と話し合いたいな、できれば英語で!と思って、お願いをしてみたら、OKしていただけて、今日1時間半ほど英語を使ってSkypeで話すことができました。

自分自身の価値観や考え方が、最近ちょっと変化してきたように思っていたのですが、彼女の質問に答えていると、自分でも気づいていなかった点が明確になりました。

サルトルの「存在と無」を中島塾で齧ったり、メイ・サートンやエリック・ホッファーの存在や生き方を知ったこと、京都で石井さんの話を聴いたことや、もろもろの出来事が点として記憶に止まっていたのですが、彼女と話したことで一気に点が線に繋がって、英語で何て言うんだろうと脳みその中で、自分の感情をピッタリ表現できる単語を手探りしながら、我ながら「ああ、私はそういう風に感じていたのか」と再発見するという非常に興味深い体験をすることができました。

自分にとって幸せとは何かということを考えたときに、私が幸福を恐れているということに気づいたのも衝撃的でした。幸福を恐れているというのは正確じゃないですね。幸福感を味わえるのは一瞬に過ぎないという固定観念が非常に強いために、それを瞬く間に失った後に恐ろしい虚無感と喪失感に苛まれる体験をする、ということを非常に恐れているのでした。

この辺りを英語で説明していたら、涙が出てきて、あらら、どうしちゃったの私?という感じではありました。
手が触れあえる距離で、同じ時間を共有していても、心を通じ合わせることが難しい人もいれば、どれだけ距離が離れていても、心を開いて話し合える人もいます。

「この違いは一体なんだろう?すごく不思議なんだけど」
「価値観の違いじゃない?」
「うん。でも私は、異なる価値観の人も受け入れたいと思っているよ」
「それは私も同じだけれど、そういう人と長時間一緒にいたいと思う?」
「あ、それは難しいかも」

こんな話ができる友人が私にできたということは奇蹟のように嬉しい。
けれども、そして同時に涙がでるほど恐ろしい。

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