「やってみたい」「面白そう」「これは行かなきゃ」「せっかくの機会だし」と色々な予定をスケジュールに組み込んでいたころは、いつも寝不足だった。布団に横になれば、あっという間に眠れるし、朝も、目覚ましのアラームを止めて、二度寝どころか三度寝することもあった。いつの頃からか、そういう生活に、ときめきを感じなくなったのは、年齢を重ねて、蓄積された疲れが解消できなくなったからだ。ああ、そういう時期が来たのか、と立ち止まって考えてみて、どうするべきかを、ぼんやりと考えていたのだが、そのとき、退屈するほど空白の時間を持ってみようと考えた。他人の価値観に惑わされて、自分が本当に必要としているものを見失っているような虚しさを感じるようになっていたことも背中を押した。結果として、自分が望む結果を手に入れられたのだけれども、そうなってみると、それは自己管理と自己規律が、以前よりもずっと重要なことに気づく。非常に恵まれた環境にいることを自覚しているつもりなのだが、油断すると、退屈から安易に逃げようとしているのではないか、と思う出来事があり、精神や肉体を健康的に安定させることは、簡単じゃないんだなと思う。ビールもそうだし、アイスクリームもそう。かつて愛していたものへの執着は簡単には消えないのだなぁ。自分へのご褒美として上手に生活に組み込むために、もう少しなにか工夫が必要なのかもしれない。(以前に比べればずいぶんとコントロールできるようにはなった)他人とのコミュニケーションは、適度に必要だけれども、自分の許容量を超えると、内省する時間がなくなってしまう。退屈するほどの空白が生まれないと、内省できないという点は、私の問題点で、今後の解決課題なのだ。でも、しっかりと退屈する時間を持つことが自分にとって重要であり、避けてはいけないものだ、という気づきを得たときは、ちょっとだけ身体に電気が走った。いつから私は退屈を恐れるようになってしまったんだろう。
退屈から生まれるもの
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