決闘の歴史について調べていたら、めちゃくちゃ面白いサイトを見つけました。生存学研究センター報告書[21]に収録されている約18,000字のレポートです。
死刑存置論と死刑肯定論──カント『人倫の形而上学』における死刑についての考察──櫻井悟史(立命館大学 生存学研究所)
哲学者のカントは『人倫の形而上学』で「人を殺害したのであれば,死ななくてはならない」と述べているけど、子殺しと決闘に関してだけ例外を認めているらしいんです。なんでだろうな、と思ったので、「人倫の形而上学」をググったら、こちらのサイトが表示されたんですよね。Googleさん、ありがとうございます!第3章「誰が死刑執行を担うべきかについての先行研究」を読んだら、ちょこっと調べてた復讐と決闘の歴史をさらに深く理解する手がかりを得られた気がします。
古代から近世頃までは、王権神授説に基づき、ご神託によって「人を殺してはならない」と「罪人は殺してもよい」が両立していました。でも法治国家が成立すると、法は神に由来せず、主権は王ではなく、国民になります。そうすると、怪しい神判で罪人扱いして人を殺すってことが、簡単にできなくなります。法によって社会にある種の平等と秩序がもたらされ、個人的な復讐や決闘は、法からはみ出し、社会秩序を乱すものとして禁止されていった、って感じ?この論文では、誰が死刑執行を行うか、という点について議論をしていますが、復讐や決闘だと、被害者が自ら執行する権利を持っていることになるんですよね。
この被害者が執行する、という点について、第4章「誰が死刑執行を担うべきかについての検討」で詳しく説明されているのも、非常に読み応えがありました。
とはいえ、まだサラッと軽くしか読んでないんで、もうちょっとしっかり読んで理解したいです。
目次はこんな感じ。重いテーマですが、これはしっかり考えておくべき重要な問題だと思います。
1.はじめに
2.死刑執行人をめぐる日本の現状
3.誰が死刑執行を担うべきかについての先行研究
4.誰が死刑執行を担うべきかについての検討
5.カントの刑罰論
6.「人を殺害したのであれば,死ななくてはならない」についての考察
7.おわりに