読書感想ふりかえり

「臨終まで」梶井久(1932)息子の死を客観的に描いた母の短編

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読書感想
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梶井久(かじいーひさ1870-1946)は小説家 梶井基次郎の母親です。当時62歳の久が、結核に感染し、実家の大阪に戻り自宅療養をする31歳の基次郎を看病し、彼の死を看取るまでを描いた作品が、この「臨終まで」という短編です。(青空文庫のこちらで読めます)

容体が悪化し始めた1932年2月26日から、3月24日午前2時に基次郎が息を引き取るまでの様子がドキュメンタリー映画のように客観的に描写されています。病人に好きなものを食べさせてあげようとご馳走を用意するところなどは微笑ましいのですが、その後は、どんどん痛々しい描写が増えていきます。現代であれば、死期が迫った状態の病人は入院治療をし、自宅で看病することは少ないと思われますが、当時は自宅に医者や看護婦を呼ぶことが一般的でした。そうした社会状況も、この作品から読み取ることができます。またこの作品は、基次郎がなくなったわずか三ヶ月後、1932年5月に発表(梶井基次郎追悼号)されているのですが、我が子を失っても悲しみに飲み込まれず行動する梶井久の精神力を示しているようにも感じられました。

「臨終まで」は30分以内で読める作品です。(参考:ブンゴウサーチ

然し最早や苦痛は少しも楽に成りません。病人は「如何したら良いんでしょう」と私に相談です。私は暫く考えていましたが、願わくば臨終正念を持たしてやりたいと思いまして「もうお前の息苦しさを助ける手当はこれで凡て仕尽してある。是迄しても楽にならぬでは仕方がない。然し、まだ悟りと言うものが残っている。若し幸にして悟れたら其の苦痛は無くなるだろう」と言いますと、病人は「フーン」と言って暫し瞑目していましたが、やがて「解りました。悟りました。私も男です。死ぬなら立派に死にます」と仰臥した胸の上で合掌しました。

「臨終まで」梶井久(1932)

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参考

梶井基次郎かじい-もとじろう1901−1932 大正-昭和時代前期の小説家。
明治34年2月17日生まれ。大正14年中谷孝雄,外村繁らと同人誌「青空」を創刊し,「檸檬(レモン)」などを発表。15年結核療養のため伊豆(いず)湯ケ島に転地し,「冬の日」「冬の蠅(はえ)」などを執筆。繊細な感覚による詩的散文ともいうべき作品は,死後,声価をたかめた。昭和7年3月24日死去。32歳。大阪出身。東京帝大中退。作品はほかに「のんきな患者」など。

“かじい-もとじろう【梶井基次郎】”, 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-07)

[名](スル)心臓の拍動につれて送り出される血液のリズムが乱れること。脈の打ち方が不規則になること。

“けっ‐たい【結滞】”, デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-08)

心囊炎とは,心臓を包む心膜pericardium(心臓の表面を包む心外膜epicardiumと狭い心膜腔を隔てて心臓を包む狭義の心膜から成る)の種々の原因によって起こる炎症病変の総称であり,心膜炎あるいは心包炎ともいわれる。

“心囊炎”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-08)

《「てみづ」の音変化》1 手や顔などを水で洗うこと。社寺に参拝する前などに、手や口を水で清めること。また、その水。「―を使う」2 《用便のあと手を洗うところから》便所へ行くこと。また、小便。「―をさせて子供を寝かす」〈鴎外・雁〉3 便所。手洗い。「―に行く」

“ちょうず【手水】”, デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-08)

(Luminal )商標名。代表的な催眠薬。強力で持続力があり、鎮痙剤(ちんけいざい)として多用される。フェノバルビタール。

“ルミナール”, 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-08)

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