読書感想8.2. ふりかえり Retrospective

「交尾」梶井基次郎(1931)生きる喜びを味わう短編

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読書感想
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結核に感染し、実家の大阪に戻り自宅療養をする梶井基次郎が31歳のときに書いた作品が「交尾」です。2つに分かれた6,500文字足らずのエッセイのような短編ですが、町や自然の情景が目に浮かぶような写実的な場面描写に引き込まれます。交尾というタイトルが示す通り、その1では猫、その2ではカエル(カジカ蛙)の雌雄がむつみ合う様子が描かれます。結核のために死期が迫っている梶井が、彼らの様子に心を打たれ、その感情をどのように表現しているのかも読みどころです。 (青空文庫のこちらで読めます)

その一は、夜中に自宅の物干し場から通りを眺めたときの出来事、その二は、カジカガエルの声をじっくり聴こうと川べりに潜んで石になりすまそうとする作者の様子がコミカルに描かれています。どちらも滑稽で軽妙な味わいなのですが、今この時をのびのびと生きる猫やカエルを愛おしむ作者の姿から、彼自身も生の喜びを一緒に味わっていることが伝わりました。

30分以内で読める作品です。(参考:ブンゴウサーチ

私はかつて独逸(ドイツ)のペッヒシュタインという画家の「市に嘆けるクリスト」という画の刷り物を見たことがあるが、それは巨大な工場地帯の裏地のようなところで跪(ひざまず)いて祈っているキリストの絵像であった。その連想から、私は自分の今出ている物干しがなんとなくそうしたゲッセマネのような気がしないでもない。しかし私はキリストではない。夜中になって来ると病気の私の身体(からだ)は火照(ほて)り出し、そして眼が冴(さ)える。ただ妄想(もうそう)という怪獣の餌食(えじき)となりたくないためばかりに、私はここへ逃げ出して来て、少々身体には毒な夜露に打たれるのである。

「交尾」梶井基次郎(1931)

それはある河鹿のよく鳴く日だった。河鹿の鳴く声は街道までよく聞こえた。私は街道から杉林のなかを通っていつもの瀬のそばへ下りて行った。渓向うの木立のなかでは瑠璃(るり)が美しく囀(さえず)っていた。瑠璃は河鹿と同じくそのころの渓間をいかにも楽しいものに思わせる鳥だった。

「交尾」梶井基次郎(1931)

47作品が無料公開中

梶井基次郎の作品は青空文庫で47作品が無料公開されています。アマゾンのアンリミテッドで読める作品もありました。  

自己と外界の認識の高まりを示す作品

冬の日(1927)12,779 文字 読了目安:1時間以内
冬の蠅(1928)11,156 文字 読了目安:30分以内

生と死の極点を清澄な眼で見つめた作品(詩的散文)

交尾(1931) 6,355文字  読了目安: 30分以内
のんきな患者(1932) 18,422 文字  読了目安: 1時間以内

参考

梶井基次郎かじい-もとじろう1901−1932 大正-昭和時代前期の小説家。
明治34年2月17日生まれ。大正14年中谷孝雄,外村繁らと同人誌「青空」を創刊し,「檸檬(レモン)」などを発表。15年結核療養のため伊豆(いず)湯ケ島に転地し,「冬の日」「冬の蠅(はえ)」などを執筆。繊細な感覚による詩的散文ともいうべき作品は,死後,声価をたかめた。昭和7年3月24日死去。32歳。大阪出身。東京帝大中退。作品はほかに「のんきな患者」など。

“かじい-もとじろう【梶井基次郎】”, 日本人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-07)

ペヒシュタインPechstein, Max 1881.12.31~1955.6.29ドイツの画家,版画家.ドレスデン美術学校で学び,〈橋Die Brücke〉派に参加 [1906-12] .欧州各国を旅行後,日本を含む南洋を旅行し [14-] .特にパラオに刺激を受ける.強烈な色彩ながら,作風は穏やかで,旅行後はさらに単純化を進める.ナチスの弾圧を受け,第二次大戦後にベルリン芸術学校教授 [45] .表現派を代表する一人.

“ペヒシュタイン(Pechstein, Max)”, 岩波 世界人名大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-07)

イエス・キリストが最後の祈りを捧 (ささ) げた所。エルサレムの東側のオリブ山の西麓 (せいろく) にあるオリーブ園をさす。イエスは十字架にかかる前夜、最後の晩餐 (ばんさん) の後ここにきて、血の汗を流して「この杯をわたしから取りのけてください」と祈った直後にユダの手引きする官憲の手に捕らえられている。本来の名はgath shemenで、ヘブライ語で「油しぼり」の意である。現在はいくつかの教会堂が建ち、カトリック教会の庭園には、樹齢数百年のオリーブの大樹が数本茂り、巡礼者の憩いの場となっている。

“ゲツセマネの園”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-07)

るり/瑠璃:鳥綱スズメ目ヒタキ科に属するオオルリまたはコルリの略称。飼育家が使うことが多い名称である。ともに背面は美しい青色をしている。鳥の羽色の青色は色素によるものではなく、微細な羽毛の中の反射と干渉により生じ、同時に光沢があることが多いので、青い鳥のことを「ルリ――」という。これに対し、緑色の鳥を「アオ――」という。なお、中国や台湾にはコルリに近縁のルリチョウ属Myiophoneusが分布している。

“ルリ”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-07)

かじか‐がえる〔‐がへる〕【河鹿×蛙/金=襖=子】
アオガエル科のカエル。渓流の岩の間にすむ。体長は雄が4センチ、雌が7センチくらい。背面は灰褐色で暗褐色の模様があり、腹面は淡灰色または白色。指先に吸盤がある。5月ごろから繁殖期になると、雄は美声で鳴くので、昔から飼育される。本州・四国・九州に分布。かわず。

“かじか‐がえる【河鹿蛙/金襖子】”, デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-07)

結核は日本でも古くから知られた病気で,肺結核は江戸時代には労瘵(ろうさい),労咳(ろうがい)などと呼ばれ,身近なものであった。しかし結核が一挙に猛威をふるうのは明治後半から大正・昭和初期,つまり日本の産業革命期あるいは資本主義成立期と一致する。結核は明治・大正期には死因順位の2位・3位を占め,昭和10年から25年までの15年間はその首位を独占してきた。樋口一葉,石川啄木,正岡子規,宮沢賢治ら多くの作家が結核で若い命を失った。こうした結核流行の病巣となったのは,産業革命期の花形であった繊維工女たちである。結核の処女地である農村から都市に移らされた彼女たちは,いきなり過酷な労働と不健康な生活に追いやられ,たちどころに結核に感染・発症した。さらに罹病工女たちは農村に追い帰され,この帰郷工女から結核は全国にまんえんしていき,とりわけ貧困層と青年層を激しく侵襲し,長く国民病として日本人を苦しめたのである。

“結核”, 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2021-11-07)
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