今回は、第5章「反知性主義と大衆リバイバリズム」について、気になったところと学習ノートを備忘記録として残しておきます。(9月の読書会までに、この本を読み終えて感想を共有する予定で準備をしています)
「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」(新潮選書)
森本 あんり (著)
第5章では、19世紀アメリカで国土の広がりと共に広がるキリスト教が、どのように分化し、大衆に受け入れられていったか、その過程で反知性主義の精神がどのように大衆に染み込んでいったのか述べられています。
宗派を越えるエヴァンジェリカル(福音派)
著者は、アメリカの反権威主義は、強さと弱さが表裏一体になっていると言います。自律した民主的な基盤を作るともいえるし、偏狭で自己中心的にもなりうる危険性があるからです。
アメリカ人の心に通奏低音のように流れる反権威志向は、このようなところから養分を得て根を張っている。彼らは自分で聖書を読み、自分でそれを解釈して信仰の確信を得る。その確信は直接神から与えられたのだから、教会の本部や本職の牧師がそれと異なることを教えても、そんな権威を怖れることはない
(第五章 反知性主義と大衆リバイバリズム 1.第二次信仰復興運動 「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」森本 あんり (著) )
福音主義は、宗派間の垣根を超えて、日常的な価値観を共有しているので、投票で似た動きをするのだとか。現在のアメリカでも、福音主義派は最大多数らしいので、次回の大統領選挙も、この層の票を集めた候補が勝てるんでしょうね。
信仰復興運動は教派を越えてアメリカのキリスト教に一つの共通感覚を醸成したと言うことができる。それを「福音主義」(エヴァンジェリカル)と呼ぶ(中略)素朴な聖書主義、楽観的な共同体思考、保守的な道徳観などがその特徴で、今日でもそれは健在。
(第五章 反知性主義と大衆リバイバリズム 1.第二次信仰復興運動 「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」森本 あんり (著) )
この3つ(「素朴な聖書主義」「楽観的な共同体思考」「保守的な道徳観」)は、アメリカの政治や文化を読み解くうえで、重要なキーワードらしいです。カソリックでも、プロテスタントでも、ユダヤでも、エヴァンジェリカルの感覚と一致してしまうとなると、宗教って何だろうな?宗派って何だろうな?って思っちゃいますよね。
ハラリの21LESSONSで伝統宗教は、世界を分断させて、不和を産み出していると書かれており、まさにその通りだな、と思っていたところなのですが、アメリカの状況をみると、宗教という名前にはなっているけれど、宗派なんて、あってもなくても、違いはないみたい。それでも、それを信じているように見せているのは、精神的な安らぎが得られるからだろうか、などと考えてしまいました。
反知性主義のヒーロー
一国のリーダーを決定する場合に、知的エリートを退けてしまう大衆心理は、民主主義というものの恐ろしさを感じさせます。オルテガの「大衆の反逆」を読んだから、よけいにそう感じるのかもしれません。集団思考は、全体の感情に流されて決断し、合理性を欠く可能性も大きいからです。
エリートと戦って、大衆の意見を代弁してくれる人が反知性主義のヒーローになる、という物語は魅力的なんですけどね。
逆に言えば、アメリカの大統領は、頭がよければつとまるというものではない、ということである。反知性主義が大統領選挙を左右するのもそのためである。「反知性主義」という言葉は、1952年の大統領選挙を背景にして生まれたものである。(中略)しかし大衆は、アイゼンハワーの親しみやすさを好んで「アイ・ライク・アイク」を連呼し、彼の圧勝という結果になる。「知性に対する俗物根性の勝利」と言われた反知性主義の高潮点である。昔も今も、アメリカの大統領には、目から鼻へ抜けるような知的エリートは歓迎されない。
(第五章 反知性主義と大衆リバイバリズム 2.反知性主義のヒーロー 「反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―」森本 あんり (著) )
なるほど~。だからトランプ大統領が生まれちゃったのか、と納得してしまいました。
第5章を読むと、アメリカの宗教と、そこから生まれる価値観の関連性が明確になるので、現在の政治や社会の状況にも反映されていることが理解できるようになります。